徳川 總子(とくがわ さとこ、1870年1月20日(明治2年12月19日) - 1934年(昭和9年)1月20日[1])は、明治時代・大正時代・昭和時代の女性。水戸徳川家12代当主・徳川篤敬の妻。父は高松藩主・松平頼聰。別名は聡姫。
生涯
高松藩主・松平頼聰の長女として生まれる。その後、水戸徳川家12代当主・徳川篤敬の妻となり2男1女(圀順・敬子(松浦陞室)・宗敬)を出産[2]。
1907年(明治40年)には徳川光圀によって築かれた歴史書『大日本史』の発行に携わった[3]。
1934年(昭和9年)、死去。
脚注