徳大寺 実孝(とくだいじ さねたか)は、鎌倉時代後期の公卿。官位は正二位・権中納言。
経歴
永仁2年(1294年)に叙爵。以降累進して、延慶2年(1309年)に従三位となり、公卿に列する。応長元年(1311年)に権中納言を拝命。文保元年(1317年)には正二位へと進む。
死没時期は、異説もある。
建武2年(1335年)7月の中先代の乱の幇助により、後醍醐天皇の勘気を受けて、徳大寺家の荘園粟井荘に配流された。粟井荘に居住(粟井中御所垣内)すること11年間、旅の仮宿で貞和3年(1347年)3月8日57歳の生涯を終える(墓所は、粟井中にある)。
[1]
系譜
関連項目
- ^ 岡山県美作市小房にある小房城跡の掲示看板「小房城の由来」作東町教育委員会