張虎 (曹魏)

張 虎(ちょうこ、生没年不明)は、中国三国時代の武将。父は張遼。子は張統[1]

父の後を次いで晋陽侯に封ぜられた。後に偏将軍にまで昇進。没後は子の張統が爵位を継いだ[1]

小説『三国志演義』では、楽進の子楽綝とペアで描かれ、蜀漢北伐で常に蜀軍に敗れている。更に、蜀軍に捕らえられた時には戴陵、楽綝と裸にされて陣に戻されるなど、諸葛亮に翻弄される凡将の一人として描かれている[2]。また、司馬懿指揮下の将軍として公孫淵討伐でも活躍する[3]


参考資料

脚注

  1. ^ a b ウィキソース出典 三國志 魏書·張樂于張徐傳 (中国語), 三國志/卷17#張遼, ウィキソースより閲覧。  - 子虎嗣。六年,帝追念遼典在合肥之功,詔曰:「合肥之役,遼典以步卒八百,破賊十萬,自古用兵,未之有也。使賊至今奪氣,可謂國之爪牙矣。其分遼典邑各百戸,賜一子爵關內侯。」虎爲偏將軍,薨。子統嗣。
  2. ^ ウィキソース出典 第一百回 漢兵劫寨破曹真 武侯鬥陣辱仲達 (中国語), 三國演義/第100回, ウィキソースより閲覧。  - 司馬懿回到本陣中,喚戴陵、張虎、樂琳三將,分付曰:「今孔明所布之陣,按休、生、傷、杜、景、死、驚、開八門。汝三人可從正東生門打入,往西南休門殺出,復從正北開門殺入:此陣可破。汝等小心在意!」於是戴凌在中,張虎在前,樂琳在後,各引三十騎,從生門打入。兩軍吶喊相助。三人殺入蜀陣,只見陣如連城,衝突不出。三人慌引騎轉過陣腳,往西南衝去,卻被蜀兵射住,衝突不出。陣中重重疊疊,都有門戶,那裡分東西南北?三將不能相顧,只管亂撞,但見愁雲漠漠,慘霧濛濛。喊聲起處,魏軍一個個皆被縛了,送到中軍。   孔明坐於帳中,左右將張虎、戴陵、樂琳並九十個軍,皆縛在帳下。孔明笑曰:「吾縱然捉得汝等,何足為奇!吾放汝等回見司馬懿,教他再讀兵書,重觀戰策,那時來決雌雄,未為遲也。汝等性命既饒,當留下軍器戰馬。」遂將眾人衣甲脫了,以墨塗面,步行出陣。
  3. ^ ウィキソース出典 第百零六回 公孫淵兵敗死襄平 司馬懿詐病賺曹爽 (中国語), 三國演義/第106回, ウィキソースより閲覧。  - 淵大驚,急撥馬尋路奔逃。早有胡遵兵到;左有夏侯霸、夏侯威,右有張虎、樂綝:四面圍得鐵桶相似。公孫淵父子,只得下馬納降。