廉貞院(れんていいん、元和4年6月6日(1618年7月27日) - 寛文11年9月19日(1671年10月21日))は、江戸時代初期の女性。福井藩主松平忠直の次女。母は徳川秀忠三女の勝姫。名は鶴姫(つるひめ)、諱は長子。九条道房の正室。贈従三位。同母兄姉に松平光長、亀姫がいる。
越前北荘城にて生まれる。寛永9年(1632年)、叔父徳川家光の養女として従兄である九条道房に嫁ぎ、長子と改名した。道房との間には5人の娘が生まれ、長女愛姫は浅野綱晟の正室、次女令姫は本願寺常如光晴の室、三女梅姫は松平綱賢の正室、四女待姫は婿養子九条兼晴の正室、五女八代姫は綱晟の継室となった。
寛文11年(1671年)、54歳で死去し、東福寺(もしくは一心院)に葬られた。戒名は廉貞院機夾俊巧大禅定尼。従三位を追贈された。
補足
忠直と勝姫の子女の中で、血筋を現在にまで伝えているのは廉貞院のみであり、第126代天皇徳仁[1]や多くの大名家や公家、旧皇族などにも繋がる。
脚注
参考文献
- 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)
- 三世恵照公年譜(『徳川諸家系譜』第4巻)