広島市立工業専門学校 (広島市工専)
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創立
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1945年
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所在地
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広島県広島市
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初代校長
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勝盛豊一
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廃止
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1951年
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後身校
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広島大学
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同窓会
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広島工業会
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旧制広島市立工業専門学校(きゅうせいひろしましりつこうぎょうせんもんがっこう)は、1945年(昭和20年)1月、広島市により設立された旧制専門学校。略称は「広島市工専」(あるいは「官立広島工専」(官工専)と区別して単に「市工専」とも)。
概要
沿革
- 1945年(昭和20年)
- 1月17日 - 専門学校令により設立(機械科・航空機科2科を設置)。
- 4月1日 - 開校。
- 6月9日 - 開校式・第1回入学式を挙行。
- 8月6日:原爆により校舎が中破。
- 8月20日 - 一部授業が再開。
- 9月15日 - 大半の授業が再開。
- 12月 - 航空機科を土木科に改組。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 工業経営科を増設。
- 1947年(昭和22年)5月 - 官立広島工業専門学校への併合問題が起こる。
- 1948年(昭和23年)3月13日 - 第1回卒業式を挙行。
- 1949年(昭和24年)5月31日 - 国立学校設置法の公布により設立された広島大学に併合。
- 1951年(昭和25年)3月31日 - 全生徒の卒業とともに廃校。
歴代校長
校地の変遷と継承
市工専は広島市東雲町653番地(住所変更により現在は南区東本浦町)の広島市立第一工業学校(現在の広島県立広島工業高等学校の前身校の一つ)[1]内に併設され、廃校までこの校地が維持された。跡地にはその後1954年(昭和29年)に県立広島商業高校の校地が移転してきたが、1960年(昭和35年)に同校が広島市江波町(えばまち)(現在の広島市中区舟入南6丁目)の校地へ復帰したのち、1964年(昭和39年)に市立広島工業高校[2]が移転、現在に至っている。
原爆の被害
1945年8月6日の原爆投下にさいし、爆心地から約3.1㎞離れていた市工専は木造校舎が中破するなどの被害を出したが、全般的に施設の損害は軽微であった。また当日は東雲町の校舎で授業が行われていたため生徒・教職員の犠牲者も僅少であると推定されるが、1945年中の被爆死者数は生徒・教職員とも不明である[3]。
脚注
- ^ 戦後学制改革により1948年5月、広島市工業高等学校に改組されたが、翌1949年4月、広島県広島工業高等学校(旧制県立広島工業学校の後身)・広島県有朋高等学校(旧制県立広島第一高等女学校の後身)・広島県広南高等学校(旧制県立広島第二高等女学校の後身)とともに総合制の広島県広島皆実高等学校として統合され、同校「工業課程」の前身となったが、その後同課程が県立広島工業高等学校として独立した。[1]参照。
- ^ 旧制広島市立第二工業学校(および新制広島市中央工業高等学校)の後身で、先述の「広島市工業高等学校」とは別の学校である。[2]参照。
- ^ 『広島大学の五十年』p.44。
参考・関連文献
外部リンク
関連項目
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前身 | |
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学部 |
- 総合科学部
- 文学部
- 教育学部
- 法学部
- 経済学部
- 理学部
- 医学部
- 歯学部
- 薬学部
- 工学部
- 生物生産学部
- 情報科学部
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