平戸市立平戸小学校(ひらどしりつ ひらどしょうがっこう、Hirado City Hirado Elementary School)は、長崎県平戸市岩の上町にある公立小学校。
概要
- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区平戸小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
- 校訓
- 「夢・創る・思いやり・負けるな」
- 校区
- 中学校区は平戸市立平戸中学校。
沿革
- 1874年(明治7年)
- 6月 - 平戸小学校が設立される。
- 9月19日 - 平戸藩武射跡に「第五大学区第四中学区平戸小学校」が開校。
- 1880年(明治13年)- 田助小学校を田助分校とする。
- 1884年(明治17年)- 「平戸学区公立上等平戸小学校」に改称。
- 1885年(明治18年)
- 5月 - 「平戸学区公立上等平戸女児小学校」を新たに設置し、男女別学を開始。
- 9月1日 - 度島に多久島分校を設置。
- 1886年(明治19年)4月1日 - 小学校令が施行される。
- 男子校を「尋常平戸小学校」、女子校を「尋常女児平戸小学校」と改称。またこれとは別に「第十四高等小学校」が設置される。
- 田助分校を田助分舎とする。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、平戸町村組合立の小学校となる。
- 1894年(明治26年)
- 3月31日 - 第十四高等小学校が廃止される。
- 4月1日
- 小学校令の一部改正により、男子校を「平戸尋常小学校」、女子校を「平戸尋常女児小学校」と改称(「尋常」位置が変わる[1])。田助分舎を田助分校とする。
- 第十四高等小学校の廃止に伴い、「一町四ヶ村組合立平戸高等小学校」が設置される。
- 1895年(明治28年)4月 - 多久島分校が分離し、「度島尋常小学校」として独立。
- 1896年(明治29年)
- 4月 - 度島尋常小学校が再び度島分教場となる。
- 8月 - 平戸尋常女児小学校を統合し、平戸尋常小学校女子部とする。
- 1901年(明治34年)5月1日 - 田助分校が分離し、「田助尋常小学校」(現・平戸市立田助小学校)として独立。
- 1902年(明治35年)9月 - 従来の平戸町村組合(平戸町と平戸村の組合)を解消し、平戸尋常小学校を廃止。
- 平戸町は「平戸町尋常小学校」を、平戸村は「平戸尋常小学校」を設置。
- 1904年(明治37年)
- 3月1日 - 一町四ヶ村組合立平戸高等小学校が廃止される。
- 4月1日
- 平戸町尋常小学校が、高等科を併置し、「平戸町尋常高等小学校」となる。
- 平戸(村)尋常小学校が、男子校と女子部に分立の上、高等科を併置し、「平戸尋常高等小学校」と「平戸女児尋常高等小学校」となる。
- 1906年(明治39年)4月10日 - 再び度島分教場が「度島尋常小学校」(現・平戸市立度島小学校)として独立。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1913年(大正2年)3月31日 - 平戸女児尋常高等小学校を廃止し、平戸尋常高等小学校に統合。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 平戸村と平戸町が合併し、新・平戸町が発足。これに伴い、小学校も統合され、新「平戸尋常高等小学校」が発足。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「平戸町平戸国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 平戸町が市制施行で平戸市になったことにより、「平戸市立平戸小学校」(現校名)に改称。
- 1964年(昭和39年)4月18日 - 校舎(現・第3校舎)が完成。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 体育館と校舎(現・第2校舎)が完成。
- 1976年(昭和51年)3月31日 - 校舎(現・第1校舎)と運動場が完成。
- 1977年(昭和52年)5月31日 - 運動場が完成。
- 1984年(昭和59年)11月20日 - 金管バンドを結成。
- 1986年(昭和61年)9月3日 - プールが完成。
- 2004年(平成16年)1月26日 - 二宮金次郎像が建立。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 特別支援学級を開設。
- 2023年(令和5年)年度末 - 部員減少のため、金管バンドを廃部。
アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
同名の小学校
参考資料
脚注
- ^ 尋常小学校に高等科を併置できるようになったため、「尋常高等小学校」と名乗りやすいように「尋常」の位置が変更になった。
関連事項
外部リンク