帖佐 寛章(ちょうさ ひろあき、1930年6月7日[1] - )は、陸上競技の元選手で中長距離選手の指導者。香川県小豆郡土庄町豊島出身。
来歴
香川県立三本松高等学校卒業後、東京教育大学に入学。
東京教育大学在学中の1953年日本陸上競技選手権大会800m、1500mで優勝。
卒業後、野口源三郎・久内武の勧めで順天堂大学で教鞭をとり[2]、山田宏臣、小出義雄、澤木啓祐らを育てた。
その後、日本陸上競技連盟理事・強化委員長、日本陸上競技連盟専務理事、日本陸上競技連盟副会長、日本体育協会副会長などを歴任。現在、順天堂大学名誉教授。
神戸市で行われた1985年夏季ユニバーシアードの日本選手団団長を務めた。
2010年、東京マラソン財団理事長に就任し、2012年6月に退任後、同年12月、名誉顧問に就任。
2023年(令和5年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した[3]。
著書
関連書籍
脚注
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.577
- ^ 帖佐寛章「心の支柱」『陸上競技マガジン』第17巻第06号、ベースボール・マガジン社、1967年5月、24頁。
- ^ 令和5年春の叙勲受章者名簿 小綬章以下 千葉県 - 内閣府 (PDF)
関連項目
外部リンク
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