巨勢 小石(こせ しょうせき、1843年10月21日(天保14年9月28日) - 1919年(大正8年)9月17日)は、近代の日本画家。本名は八田金起。主に仏画と花鳥画を描き、巨勢派の最後を飾った。
人物・来歴
山城国(京都市下京区大坂町)生まれで、父は巨勢金観。家は代々「八田久左衛門」と称し仏画を制作していた。
京都で岸派の岸連山、南画の中西耕石に日本画を、神山鳳陽に詩を学ぶ。こうした中で一家を自覚し、家伝の巨勢家系図に従って本姓の巨勢に復し、「巨勢金岡三十八世孫」と称した。
その後各地を遍歴し、1878年(明治11年)、当時の清国に遊学。帰国後は京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)、華族会館分局画学校などで絵画を教え、1890年(明治23年)からは東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授に就任した。
晩年は京都に戻り、田能村直入や富岡鉄斎らと日本南画協会を作るなど、東京奠都後に衰退した京都画壇の復興に努めた。
代表作
作品名
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技法
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形状・員数
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寸法(縦x横cm)
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所有者
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年代
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落款・落款
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備考
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亀山本徳寺障壁画
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亀山本徳寺
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1883年(明治176年)
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款記「癸未端日 小石写」/「巨勢金起」白文方印・「小石」朱文方印
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本徳寺客殿のうち5室[1]。
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聖徳太子勝鬘経講賛成図
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絹本著色
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1幅
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149.0x72.7
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東京国立博物館
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1884年(明治17年)
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第2回内国絵画共進会銅印賞。西来寺蔵の同名図を参照している。
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秋野鹿
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絹本著色
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1幅
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172.8x83.5
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東京芸術大学大学美術館
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1889年(明治22年)
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落款「巨勢小石」/「巨勢金起」朱文方印
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第三回内国勧業博覧会二等妙技賞
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大塔之宮図
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絹本著色
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1幅
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246.0x143.5
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東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館
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1892年(明治25年)
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東京大学教養学部の前身である第一高等中学校旧蔵。当時の校長だった木下広次から歴史参考室の資料として、同年3月25日80円の値段で依頼された[2]。
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幽霊・仔犬に髑髏・白蔵主図
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紙本淡彩
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3幅対
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146.8x36.0(各)
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長浜城歴史博物館
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長沢芦雪筆の同名作(藤田美術館蔵)の模写。なお本作は、南伊部町(長浜市元浜町)の油問屋・油屋治兵衛家伝来で、小石はその当主・四居台三の肖像[3]も手掛けている[4]。
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脚注
参考文献
- 京都市美術館監修 『京都画壇 江戸末・明治の画人たち』 アート社出版、1977年10月1日
- 徳力富吉郎 嶋田玄弥 共編 『巨勢小石七十二候名花画帖』 京都書院、1980年
関連項目