山田 栄一(やまだ えいいち、1908年5月10日 - 1995年1月10日)は、第三代シチズン時計社長(1946年 - 1981年)。静岡県出身。旧姓鈴木。
経歴・人物
1908年、横浜に生まれる。静岡県立静岡中学校卒業[1]。一橋大学卒業。1931年、三井生命保険会社入社、1937年、シチズン時計入社、1941年、シチズン時計取締役就任、1944年、シチズン時計常務取締役就任、1945年、シチズン時計専務取締役就任、1946年、シチズン時計代表取締役社長就任、1968年、藍綬褒章受章、1978年、勲三等旭日中綬章受章、1981年、シチズン時計社長辞任、会長に就任、1986年、シチズン時計取締役相談役、1987年、シチズン時計相談役。戦後のシチズンを担い、セイコーに次ぐ国内第二の時計メーカーに育て上げた。
公職団体歴
1974〜1976 日本時計協会理事長
1958〜1994 社団法人経済団体連合会評議員
1964〜1986 同理事
1963〜1986 日本経営者団体連盟常任理事
親族
- 妻:山田八重子
- 父:鈴木芳太郎 ※静岡県立静岡中学校卒業の同姓同名のプロ野球選手、鈴木芳太郎とは別人。
- 母:鈴木せい
- 二男:山田修:シチズンホールディングス常務、顧問、ニッセンホールディングス社外監査役。
脚注
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 54頁。
外部リンク
関連項目