山田勉 (外野手)

山田 勉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東住吉区
生年月日 (1958-10-03) 1958年10月3日(66歳)
身長
体重
176 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1980年 ドラフト4位
初出場 1982年10月8日
最終出場 1989年10月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

山田 勉(やまだ つとむ、1958年10月3日[1] - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手外野手[1]

経歴

プロ入り前

大鉄高等学校では、一番打者、遊撃手として1976年夏の大阪府大会決勝に進むが、PL学園米村明、中村誠治(早大日産自動車)の継投の前に惜敗、甲子園には届かなかった。高校同期に四番打者、中堅手山村勝彦[2]、1年下に二番打者、一塁手の前田友行(阪神)がいた。卒業後の1977年松下電器に入社[1]

1980年ドラフト4位で南海ホークスに指名され1981年に入団した[1]

プロ入り後

1984年に一軍に定着し、1985年にはウエスタン・リーグの首位打者を獲得。

1987年には外野手として44試合に先発出場、うち17試合では一番打者に起用される(左腕投手対策として偵察要員の後に入ることが多かった)。

1988年シーズンオフに山中潔との交換トレードで広島東洋カープへ移籍。

1989年には、同姓同名で当時ヤクルトスワローズに所属していた山田勉と対戦した事があるとされていたが、公式戦に関してはこれは誤りである(投手の山田勉が1989年に一軍登板したのは8月27日横浜大洋ホエールズ戦の1試合のみであり、外野手の山田勉のいる広島戦での登板がなかった。1990年は両者一軍での出番はなかった。オープン戦での対戦の有無は不明)[3][4]

1990年限りで現役を引退。

引退後

和歌山県太地町にある落合博満野球記念館に勤めていた。また2005年にはプロ野球マスターズリーグのセレクションに参加したが、結果は不合格だった。

2009年関西独立リーグ明石レッドソルジャーズのコーチを務めた。

2010年四国・九州アイランドリーグ高知ファイティングドッグスのコーチに就任し、1シーズン務めた。

2020年に南海時代の先輩・河埜敬幸(GMに就任)の後を受けて社会人野球・カナフレックス硬式野球部の監督を2年間務めた。後任は松下電器時代の先輩・福間納

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1982 南海 2 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .250 .250 .250 .500
1983 18 22 21 2 5 1 0 0 6 2 1 2 1 0 0 0 0 4 0 .238 .238 .286 .524
1984 83 52 45 21 7 0 0 1 10 3 8 4 2 0 4 0 1 7 1 .156 .240 .222 .462
1985 75 117 98 22 29 3 3 3 47 10 9 1 4 1 13 0 1 12 0 .296 .381 .480 .861
1986 33 111 93 11 23 2 0 2 31 5 2 4 5 0 10 0 3 16 2 .247 .340 .333 .673
1987 87 188 162 23 45 5 0 2 56 11 0 6 6 1 18 0 1 24 1 .278 .352 .346 .698
1988 75 103 87 14 21 0 0 0 21 3 2 3 3 0 12 0 1 14 0 .241 .340 .241 .581
1989 広島 18 26 23 4 4 0 0 0 4 1 0 0 1 0 2 0 0 4 1 .174 .240 .174 .414
通算:8年 391 623 533 97 135 11 3 8 176 35 22 20 22 2 59 0 7 82 6 .253 .334 .330 .664

記録

背番号

  • 45 (1981年 - 1990年)
  • 27 (2009年)
  • 86 (2010年)

脚注

  1. ^ a b c d 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P128。
  2. ^ 南海入団後、1982年から1988年まで、実兄の山村善則とチームメイトになった。
  3. ^ 日本プロ野球記録 公式戦全スコア 1989年 ヤクルト対大洋(2017年3月12日閲覧)
  4. ^ 日本プロ野球記録 山田勉(2017年3月12日閲覧)

関連項目

外部リンク