山本 弘一(やまもと ひろかず[1]、1928年5月6日 - 1990年/1991年)は、日本の陸上競技(中距離走[2][3])選手である。
1952年ヘルシンキオリンピックで男子1600メートルリレー走に出場した[4]。
経歴
戦時中、旧制甲南高等学校尋常科(現在の甲南中学校・高等学校)在籍中より中距離走選手として活動し、1948年、戦後第1回のインターハイ優勝に貢献した[2]。1947年の秋季国体では兵庫県代表選手となり、800m走で個人優勝[2]。1949年、旧制甲南高等学校理科卒業[2]。
京都大学に進学後、第1回全国七大学対校陸上競技大会において、400m、800m、1500mの3種目で優勝[5]。
京都大学在学中[6][7]、1952年ヘルシンキオリンピックに参加。1600メートルリレー走に出場した(的場淳吉・岡野栄太郎・山本弘一・室矢芳隆[1])[8][9]。オリンピック後の12月に、女子短距離選手だった岡本貴美子(当時光華女子短期大学在学)との婚約が報じられ[10]、1955年10月30日に結婚式を挙げた[11]。報道によれば、結婚当時の山本は「武田製薬」勤務であった[11]。
62歳で死去[2]。
脚注
関連項目