山岡 慎一(やまおか しんいち、1894年(明治27年)1月19日[1][注釈 1] - 没年不明。旧字体:山岡愼一)は、日本の陸上競技選手(短距離走)、実業家。東京帝国大学在学中に1920年アントワープオリンピックに出場した。
経歴
山岡清直[注釈 2]の長男として、京都府に生まれる。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学工学部に入学。
在学中に1920年アントワープオリンピックの男子100m・200m走に出場[1]。男子100mは8組4着で記録なし、男子200mは1組4着の23秒9でいずれも予選落ちに終わった[1]。
1922年(大正11年)同大を卒業し、1924年(大正13年)父の経営する高野捺染工業所に入り、翌年取締役に就任。ほか、京都高野川捺染代表取締役、合資会社東光社代表社員、東京日日新聞運動部嘱託、明治神宮体育会評議員、全日本陸上競技連盟理事、日本水上競技連盟評議員などを歴任した。
ヤス夫人は江川英武の四女[3]。
運動界社編『競技練習手解き』(運動界社出版部・忠文堂書店、1924年。国立国会図書館デジタルコレクション)の出版に、「学生競技連盟会長」の肩書で監修を行っている。
脚注
注釈
- ^ 『帝国大学出身名鑑』ヤ34頁では明治27年1月17日生。
- ^ 京都府出身の実業家。1915年(大正14年)時点で富士製紙取締役[2]。その後東海銀行常任監査役、東京銀行集会所幹事を務めた[3]。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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