尚益王(しょうえきおう、1678年12月8日(康熙17年10月25日) - 1712年8月16日(康熙51年7月15日))は、琉球王国第二尚氏王統の第12代国王(在位1710年 - 1712年)。第11代国王尚貞王の孫で、中城王子尚純の子。
祖父の尚貞王のときに魏士哲・高嶺徳明が中国に渡り補唇術を学んだが、それは王孫・尚益が兎唇であったためらしい。伝承では、尚益は口髭を生やして傷を隠したため、その子らも父が兎唇であった事を知らなかったと伝えられる。
家族
- 子女
- 長男 - 尚敬、中城王子朝系(母は妃)
- 次男 - 尚徹、北谷王子朝騎(母は妃。童名・真蒲戸金、号・原仁。1703年(康熙42年)8月6日 - 1739年(乾隆4年)2月18日。大村御殿二世。養子入り)
- 長女 - 嘉手苅翁主(母は妃。美里殿内八世美里親方安承に嫁ぐ)
- 次女 - 古波蔵翁主(母は妃。毛氏豊見城殿内十世豊見城親雲上盛邑に嫁ぐ)
- 三女 - 冨盛翁主(母は慈雲。童名・思武樽金、号・惟芳。1704年(康熙43年)3月4日 - 1737年(乾隆2年)8月23日。翁氏支流七世佐久真親方盛胤に嫁ぐ)
- 四女 - 内間翁主(母は慈恩。馬氏小禄殿内八世永本親雲上良隆に嫁ぐ)
脚注