小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日[1] - )は、日本のアナウンサー、キャスター。
神奈川県横浜市出身[2]。慶應義塾大学法学部卒業[3]。
略歴
1964年4月、TBSに第9期生アナウンサーとして入社(同期には石川顯・大沢悠里・平原晋太郎・桝井論平・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)[4][5]。主にニュース、報道番組を担当[6][7]。1964年5月ラジオ編成局実施部、1965年6月報道局ニュース部、1965年12月ニュース取材部の後[7]、1967年11月15日アナウンサー研修室設置に伴いラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に[8]。1970年7月テレビ本部報道局ラジオニュース部、1972年11月テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1984年4月政経部、1987年7月編集部に在籍したのち、1990年6月、東京放送健康保険組合へ現職出向[7]。1992年6月、TBS本社へ戻り人事労政局厚生部にそれぞれ在籍した[7]。また、1972年2月28日には連合赤軍による「軽井沢あさま山荘事件」現地リポートも担当する[7]。2000年6月、TBSを定年退職[6][7]。
出演番組
- TBS時代
テレビでの報道番組
ラジオ番組・その他
脚注
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「生年月日 1940年6月18日」 と明記。
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身地 横浜」 と明記。
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身校 慶應義塾大学法学部」 と明記。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7. アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「1964.4<9期生> 10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢悠里 小島康臣 平原晋太郎 桝井貞之 宇野淑子 高階玲子 二村義子 山田照子 吉野好子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、16-18頁。「64.4 <9期生>10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢 悠里 小島 康臣 平原晋太郎 桝井 貞之 宇野 淑子 高階 玲子 二村 義子 山田 照子 吉野 好子」
- ^ a b 東京放送 編「III 放送関係 7. アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「小島康臣[2000・6定年]『ニュース、報道番組』 R「パック・イン・ミュージック(1969)」 TV「これが世界だ」「報道特集<リポーター>」「JNNニュースデスク(1982)」」
- ^ a b c d e f 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、16-17頁。「小島 康臣…[64.5R編成局実施部][65.6 報道局ニュース部][65.12 ニュース取材部][67.11 Rニュース部兼アナウンサー研修室付][70.7TV本部報道局Rニュース部][72.11 TVニュース部兼R局Rニュース部][84.4 政経部][87.7 編集部][90.6 東京放送健康保険組合へ現職出向][92.6 人事労政局厚生部][00.6定年] 『ニュース、報道番組』 R「パック・イン・ミュージック(69)」 TV「これが世界だ(67)」「報道特集<リポーター>(80)」「JNNニュースデスク(82)」 ☆72.2.28 連合赤軍による「軽井沢あさま山荘事件」現地リポート。」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <ラジオニュース部勤務者兼アナウンサー研修室付> 土屋統督、新堀俊明、平山 允、藤林英雄、野中泰子、小泉正昭、小島康臣」
関連項目
参考文献
- 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。