富之保村(とみのほむら)は、かつて岐阜県武儀郡にあった村である。
合併で武儀村(1971年に町制施行し、武儀町)となり、現在は関市の一部である。
津保川およびその支流沿いの谷間の村であった。
歴史
- 江戸時代末期、この地域は尾張藩領、寺社領であった。
- 明治時代初期、岩山崎村、祖父川村、大洞村、粟野村、町村、武儀倉村、雁曽礼村、宮脇村、川合村、船山村、明ケ島村、行合村、鳥屋市村、が合併し、上之保村となる。旧・岩山崎村、祖父川村、大洞村、粟野村、町村、武儀倉村、雁曽礼村を「下村」、旧・宮脇村、川合村、船山村、明ケ島村、行合村、鳥屋市村を「上村」と称し、上村と下村を合わせて上之保村としていたという。
- 1874年(明治7年) - 上之保村(下村)[1]と水成山村が合併し、富之保村となる。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により富之保村が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 中之保村、下之保村と合併し武儀村となる。
教育
神社・仏閣
脚注
関連項目