安田善雄
安田 善雄(やすだ よしお、1888年(明治21年)11月9日 - 1923年(大正12年)9月3日)は、日本の実業家。保善社理事や、第三銀行頭取、東京建物社長などを務めた。
人物・来歴
初代安田善次郎の四男・小六郎として生まれ、2歳で安田眞之助の養子となり家督を相続した[1]。1919年第三銀行頭取[2]、東京建物社長[3]。東京火災保険社長、安田銀行監査役、桂川電力監査役、安田商事監査役等も歴任した[1]。1921年には保善社の理事に就任したが[4][5]、1923年の関東大震災において本所区本所横網(現墨田区横網)の安田家本邸で火災に巻き込まれ、震災翌日の9月2日に妻子の焼死体とともに発見され、陸軍軍医学校に搬送されたが3日に死去した。享年36。同居していた兄の安田善五郎一家は無事だった[6][7][8]。
親族
父は初代安田善次郎。2代目安田善次郎や安田善五郎は兄。妻文は渡邊廉吉の五女[1]。
脚注