子ノ神古墳の所在地
子ノ神古墳(ねのかみこふん)は、静岡県沼津市の愛鷹山南麓の尾根上に位置する前方後円墳である。1970年(昭和45年)2月19日に沼津市の史跡に指定された[4]。
概要
1999年(平成11年)、沼津市の遺跡発掘調査により周溝が確認され、周溝幅は約12メートルと推定、長塚古墳 (沼津市)と同規模であることがわかった。しかし出土遺物は土師器壺の胴部破片1点だけであり、年代特定には至っていない。
前方部に子ノ神神社が建立されている。子ノ神古墳の敷地内説明看板には「石室の一部が発見された」という記述があるが[5]、1999年の地下レーダー探査では石室は確認されていない。
規模
- 墳丘長46メートル(推定約64メートル)
- 前方部20メートル(推定約28メートル)
- 後円部径26メートル(推定約36メートル)
- 高さ3.5メートル
- 頂径推定10メートル[注釈 1]
出土品
内部主体の構造と副葬品については未調査であるため不明である。埴輪および葺石などの外部施設はない。1999年のトレンチ調査時に周溝内の覆土から土師器壺の胴部破片1点を出土。
現地情報
所在地
交通アクセス
関連施設
- 沼津市文化財センター(沼津市志下) - 子ノ神古墳出土品等を保管。
周辺
子ノ神神社
古墳の中に位置する神社。祭神は大和朝廷に「珠流河国造」(するがのくにのみやつこ)として派遣された物部堅石命(もののべのかたいしのみこと)であることと[11]、古墳を祀るために作られたことが推測されている[10]。社有地は785平方メートル[10]。
歴史
創立年及び経緯については不明[注釈 2]。1947年(昭和21年)に宗教法人となり、その時に神社の建物自体と土地を無償で譲り受ける[10]。1905年(明治38年)当時神主であった野秋儀平の手により、御料局から払い下げられ、神社として保安されるようになる[10]。1964年(昭和39年)10月に社殿を再建している[10]。
氏神
祀っている氏神は以下の通り[10]。
建物
構成される建物は以下の通り[10]。
古墳の風景
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子ノ神古墳の後円部分
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静岡県沼津市の子ノ神古墳の様子
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子ノ神古墳の後円部周囲の様子
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子ノ神神社石灯篭
注釈
- ^ なお1957年(昭和32年)の報告書では、
- 標高25メートル、長軸の長さ48メートル、後円部の径27メートル、前方部の開き14メートル、高さは、後円部4メートル、前方部2メートルと考えられている。
- ^ 境内の石灯籠には「寛延二龍舎己巳年九月吉日」(1749年)の文字が刻まれているものがある。
出典
- ^ 沼津市指定文化財等一覧表(pdf)、2017年6月4日閲覧。
- ^ 沼津市指定史跡 子ノ神古墳 (敷地内説明看板). 子ノ神古墳: 沼津市教育委員会. 1995.
- ^ “子ノ神古墳”. ふじのくに文化資源データベース. 2017年6月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『全国の教育百年史』全国の教育百年史編纂委員会、1979年1月25日、249頁。
- ^ 金岡コミュニティ推進委員会金岡地区有識者会議 編『金岡の宝50選』金岡コミュニティ推進委員会金岡地区有識者会議、2014年10月、9頁。
参考文献
外部リンク