姫路海軍航空隊(ひめじかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。攻撃専修搭乗員の教育を推進するため、攻撃機に搭乗するまでの実機練習を推進した。しかし決戦体制に移行した昭和20年3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。
昭和17年、兵庫県加西郡九会村・下里村に川西航空機姫路製作所の組立工場の建設が開始され、搬出入用の滑走路として姫路飛行場が並行して造成された。太平洋戦争中期に、逼迫する航空要員の大量育成を図るため、全国各地に訓練部隊が増設された。未完成ながら整備が進行中だった姫路飛行場に目をつけた海軍は、ここに艦上攻撃機要員の訓練部隊を設置することにした。
すべての稼動機を特攻によって失ったため、部隊を維持できなくなった姫路空は解散した。残された姫路飛行場は、本土決戦の時まで温存が図られた筑波海軍航空隊や特攻要員の岡崎海軍航空隊の駐留基地として用いられた。隣接する川西航空機の組立工場が米軍空襲部隊の標的となったことから、これら温存機体も多数被弾している。終戦とともに、両航空隊の機体と川西航空機で製造中の紫電は焼却処分された。戦後、滑走路は放置される一方、施設跡には神戸大学農学部が新築された。
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