姜 酔媚(きょう すいび、1110年 - ?)は、南宋の高宗の即位前の側室。
生涯
北宋で郡君に封ぜられた。
靖康の変後、金に連行された。高宗は南宋で即位後、金に抑留されたままの正室邢秉懿を皇后に封じたが、側室らの冊封はしなかった。金の天会5年(1127年)6月7日、高宗に屈辱を与えるため、姜酔媚は高宗の母(韋賢妃)、高宗の他の妻妾(邢秉懿・田春羅)、高宗の娘(趙仏佑・趙神佑など)と共に、洗衣院に落とされた。
南宋の紹興5年・金の天会13年(1135年)、姜酔媚は洗衣院から解放され、金の太宗により紹興郡夫人に封ぜられた。その後の動静は不明である。
伝記資料