姜 修一(カン・スイル、朝: 강수일、1987年7月15日[1] - )は、大韓民国[1]・京畿道東豆川市出身[2]のプロサッカー選手。元韓国代表。ポジションはフォワード(FW)。
経歴
韓国人の母とアメリカ人の軍人である父を持つ。誕生時、ソウルを本貫とするソウル姜氏として届けられ、その始祖となった[3]。幼少期に父親はアメリカに帰国し、母子家庭として育った。幼少期は荒れていて、浅黒い肌の色から「黒人」と罵る同級生に対し暴力を振るった[3]。尚志大学校在学中に母親が負傷し、母親を支えるために大学を中退して2007年に仁川ユナイテッドに入団した。2011年に済州ユナイテッドに移籍。2014年はレンタル移籍にて浦項スティーラースでプレーをした。
2015年6月、自身初の韓国代表に選出される。これは1998 FIFAワールドカップ韓国代表に選出された張大一(朝鮮語版)以来、外国系韓国人として代表に選ばれた2人目の選手となる[3]。しかし同月、代表合宿中のドーピング検査で陽性反応が出たことにより代表を辞退。Kリーグから15試合の公式戦出場停止処分を受けた。本人はドーピングの理由を「髭を生やすための育毛剤に禁止薬物が入っていた」と弁明した。その僅か3ヶ月後の8月24日には、謹慎中にもかかわらず泥酔状態で自身が運転中の車をタクシーに追突させ逮捕されたことが発覚。この時、友人が運転していたように見せかけたことから、再び10試合の出場停止と制裁金500万ウォン(約51万円)の処分を受けた。翌8月25日、済州ユナイテッドは姜を「任意脱退」とした。尚、姜が任意脱退処分を受けるのは、2010年に友人と酒を飲んだ際に、一般人と喧嘩をして処分を受けた時以来、2度目であった[4]
[5]。
2017年5月12日、J2・ザスパクサツ群馬に加入した[1]。J2で22試合に出場し、チーム最多の10得点を挙げたが、最下位でJ3に降格した。
2017年12月、タイ・リーグ1のラーチャブリー・ミトポンFCに移籍した。
2019年7月、東京ヴェルディへの完全移籍が発表された[6]。2020年1月、契約満了により退団し[7]、トラートFCに移籍[8]。
2021年3月31日、安山グリナースFCと契約し、6年ぶりにKリーグに復帰した[9]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2007 |
仁川 |
- |
Kリーグ |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0
|
2008 |
2 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0
|
2009 |
22 |
4 |
4 |
1 |
1 |
0 |
27 |
5
|
2010 |
21 |
2 |
4 |
2 |
3 |
0 |
28 |
4
|
2011 |
済州 |
- |
24 |
3 |
1 |
0 |
2 |
1 |
27 |
4
|
2012 |
32 |
3 |
- |
3 |
0 |
35 |
3
|
2013 |
Kクラシック |
27 |
1 |
- |
2 |
0 |
29 |
1
|
2014 |
浦項 |
|
29 |
6 |
- |
2 |
1 |
31 |
7
|
2015 |
済州 |
|
14 |
5 |
- |
0 |
0 |
14 |
5
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2017 |
群馬 |
33 |
J2 |
22 |
10 |
- |
0 |
0 |
22 |
10
|
タイ
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2018 |
ラーチャブリー |
|
リーグ1 |
26 |
13 |
1 |
1 |
1 |
0 |
28 |
14
|
2019 |
12 |
4 |
0 |
0 |
1 |
2 |
13 |
6
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2019 |
東京V |
50 |
J2 |
3 |
0 |
- |
- |
3 |
0
|
通算 |
韓国 |
Kクラシック
|
173 |
24 |
12 |
3 |
13 |
2 |
198 |
29
|
日本 |
J2
|
25 |
10 |
- |
0 |
0 |
25 |
10
|
タイ |
リーグ1
|
38 |
17 |
1 |
1 |
2 |
2 |
41 |
20
|
総通算
|
236 |
51 |
13 |
4 |
15 |
4 |
264 |
59
|
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク