奈良県立平城高等学校 (ならけんりつへいじょうこうとうがっこう、英語表記:Nara Prefectural Heijo Senior High School )は、奈良県 奈良市 にかつて存在した公立 の高等学校 。
概要
関西文化学術研究都市 平城・相楽地区 に位置していた。奈良県北端の公立高等学校 であり、京都府 木津川市 との境に極めて近い立地であった。
校名は、設置準備の段階では「北和高等学校」と仮称されていた。その後「奈良北」「平城山 」「平城」「高の原」から検討され、校地が平城山 の一帯だけでなく平城宮跡 の北部にも位置することから、「平城」に決まった[ 2] 。
男女共学。2006年 度には全日制普通科 に加え、全国で初めて小学校 教諭 志望者育成のための全日制普通科 教育コースが新たに開設された。これは、奈良県教育委員会 が来たる教員不足に備えて、教師を目指す生徒を確保するものだった。また、奈良教育大学 などとの協力した授業や行事を展開している。この動きは京都府 や兵庫県 などにも広がっている[ 3] 。
その後、特別選抜による教育コースの募集は廃止された。しかし、平城高等学校は引き続き一般選抜による入学者の中から教員志望者を募って教育キャリアコースとして取り組みを続けることにした。交通至便な高の原駅 からすぐの立地にあることから、生徒は奈良県の広い地域から集まっていた。
校章は、奈良時代 、平城京 で使用された瓦の文様である「複弁八葉蓮花文」を図案化したものの中に「高」の字を据えた意匠を採用していた。
2018年 6月8日 、奈良県教育委員会は「県立高等学校適正化実施計画(案)」[ 4] で、本校を含む3つの県立高等学校(平城、西の京 、登美ケ丘 )を閉校して新設2校に再編する(「奈良県立国際高等学校 (仮称)」と「奈良県立大学 付属高等学校(同)」)という計画を公表した。計画案は同月28日、県議会の文教くらし委員会で審議の上で可決され[ 5] 、県議会本会議でも7月3日に可決された[ 6] [ 7] 。また平城高等学校の校地は、2022年度から奈良県立奈良高等学校 が移転して使用することとなった[ 6] 。県教委は2020年 (令和2年)から、順次予定している開校に向けた手続きを進めた[ 7] 。
2022年 (令和4年)3月1日、最後の卒業式が行われた[ 8] 。
設置学科
沿革
正門
校風
校訓は「創造、敬愛、堅忍」。創立30周年に向け、2008年 には「笑顔の数だけ夢がある」というスローガンを定めた。
生徒全体的に温和で向上心があり、文化祭などの盛り上がりは県内情報誌などで一定の評価を得ている。
生徒の大半が神戸大学 などの国公立大学、関関同立 ・産近甲龍 などの私立大学に進学。
制服
男女ともにブレザー 。男子はネクタイ 、女子はリボン を付け、これらの色が赤・青・緑と各学年によって入学時に分けられていた。なお、体操服・上靴であるスリッパ ・生徒手帳 などもこれらの色であった。
交通アクセス
部活動
部局
文化部
運動部
同好会
学校行事
いずれの行事も生徒が主体となって行われた。
文化祭
「平城山祭 (ならやまさい)」と呼ばれる。毎年9月初旬に2日間開催。1日目は原則非公開、2日目は生徒の招待客や地元住民への公開という形をとっており、自由に立入はできなかった。その内容は、一般的なクラスごとの出店(食品の販売は3年生のみ)やイベント・催し物やコンサート などに加え、奈良県 下で唯一この高校にのみ存在した「水球 部」による"WATER POLO BOYS "と題する男子シンクロ演技(2007から2009年度は公演なし)、また生徒らによる後夜祭 では「平城ステップ 」と呼ばれるダンス 、公立高校の文化祭 としては異例な花火 の打ち上げを行ない、最後に校歌 を歌った。
体育大会
体育大会 は特に名称はないが、毎年5月に、高校から近い奈良市 立鴻池運動公園で行われた。これは一般非公開であった。2008年 度においては鴻池運動公園改修工事のため、橿原陸上競技場 で行われた。
競技の内容は100メートル・200メートル・リレー競技などの競走、12人13脚・大縄跳びなどの団体競技、その他にも走り幅跳び などがあり、2010年 度には障害物競走 が新設された。これらの競技はクラス対抗で競われた。昼休み中には自由参加のフォークダンス が催されていた。
その他の行事
一学期 と三学期には球技大会 が行われる。この行事でも各クラスオリジナルのタオル を作ることが多かった。内容は一学期がドッジボール 、三学期はサッカー 、バスケットボール 。三学期は2年生のみの参加であった。
また、三学期には1,2年生のカルタ(百人一首 )大会が行われた。
同校出身の著名人
脚注
関連項目
外部リンク