太田 敏兄(おおた びんけい、1890年(明治23年)1月14日 - 1972年(昭和47年)4月20日)は、日本の農学者、農民運動家、政治家。参議院議員(1期)。明治大学教授。
経歴
岡山県出身。明治大学法学部卒業後、東京帝国大学大学院にて農学博士を取得。大原農業研究所、大原社会問題研究所にて農業問題の研究に従事する傍ら、農民運動にも参加。1923年、岡山県農民組合連合会を結成。その後、日本農民組合に参加し、岡山労働学校校長に就任。1947年、日本社会党から第1回参議院議員通常選挙で岡山県選挙区に出馬し、当選。参議院懲罰委員長などを務めた。後に労働者農民党に移る。1948年に明治農業専門学校長、1949年に明治大学農学部教授に就任。1959年、退職。
1972年4月20日死去、82歳。勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[1]。
脚注
- ^ 『官報』第13603号16-17頁 昭和47年4月27日号
参考文献
- 『昭和の岡山 政治と人と(中)戦後編①』山陽新聞社、1979年。
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第1回 (定数4) |
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定数1 (第19回以降) |
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↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |