大湊海軍航空隊(おおみなとかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。大湊要港部および千島列島~三陸沖の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊。
日露戦争臨戦時に開かれた大湊要港を基地とし、手薄な北海道・千島方面の防空を担うため、1933年(昭和8年)に芦崎砂州の付け根に造成された水上機基地で開かれた。1935年(昭和10年)に開かれた舞鶴海軍航空隊、1936年(昭和11年)に開かれた鎮海海軍航空隊よりも一足早く、要港部として初めて航空隊を併設した。北方警備と合わせ、館山海軍航空隊とともに三陸東方海上の哨戒も念頭に置いたもので、九六式陸上攻撃機の量産が進捗すると、千歳海軍航空隊の本格運用開始まで新編長距離哨戒の主力として活用した。先に大村海軍航空隊が開かれていたため、尾翼の識別記号は2文字で「オミ-機体番号」と綴られていた。
戦時中は、最も対潜掃討作戦に成功した大警部隊の尖兵として存分な成果を挙げたが、九〇三空に編入される頃には、対潜攻撃の効果は出せなくなっていた。緊急造成を進めていた樺山飛行場も活用する機会がなく、昭和20年内は津軽海峡横断航路への空襲も阻止できないまま終戦を迎えた。
戦後、大湊水上機基地は海上自衛隊大湊航空基地として活用されている。樺山飛行場も海上自衛隊樺山送信所となり、滑走路も当時のままに通信塔が林立している。
その他、多くの水上偵察機を活用した。また、若干の戦闘機を備えた。
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