大橋 学(おおはし まなぶ、1949年1月17日 - 2022年2月12日)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー[1]。別名義はマオラムド[1]。
来歴
栃木県出身。1964年、中学卒業と同時に15歳で東映動画に入社[2]。『レインボー戦隊ロビン』(1966年、NETテレビ)で原画デビューすると、『サイボーグ009』シリーズや『ピュンピュン丸』に参加した[3]。
1968年、東映動画を退社。
1969年に20歳で結婚し、Aプロに入社するが、わずか20日で退社[4]。
1970年、21歳で父親になり、フリーでタツノコプロ、虫プロ作品を中心に活動[5]。
1972年、丸山正雄と出﨑統に誘われ、新しく設立されたマッドハウスに参加。『ガンバの冒険』や『家なき子』など東京ムービーの下請けをしていた初期には作画の主力として活躍し、スタジオを支えた[注 1][2][3]。『あしたのジョー2』からスタジオあんなぷるに参加。以後、80年代前半まで同スタジオ作品を中心に活動した後、フリーとなる[6]。
1987年、オムニバス映画『ロボットカーニバル』の一篇「CLOUD」で、「マオラムド」のペンネームを用いて初の監督を務める。
2022年2月12日、急性心疾患のため死去[7][8]。73歳没。
人物
モノクロアニメ時代から様々な作品に参加し、常に一線で活躍したベテランアニメーター[2]。アニメーターとして数多くの名作で原画やレイアウトを担当する他、キャラクターデザイナーや監督としても作品を手掛けてきた日本アニメ界の「匠」の1人[9]。
絵本のような作画スタイルを得意とし、「宝島」のオープニングやエンディング、『元祖天才バカボン』などでその世界観を存分に発揮したアーティスティックなクリエイター[2][3]。また、「雲」や「波」など、自然の描写を得意とした[1][2]。
代表作としては、キャラクターデザイン・作画監督を務めた劇場用作品『グリム童話 金の鳥』、「マオラムド」名義で監督・シナリオ・キャラクターデザイン・原画・美術を1人で手がけたオムニバス映画『ロボットカーニバル』の一篇「CLOUD」が挙げられる[2]。
『エースをねらえ!』『ゴルゴ13』『あしたのジョー2』『宝島』『家なき子』『ガンバの冒険』『スペースコブラ』と、出﨑統作品で多くの原画を担当[10]。また、中村隆太郎監督作品では『グスコーブドリの伝説』で原画を、また中村監督がアニメーションパートの演出を担当したゲーム『ポポロクロイス物語』ではゲームパートアニメーション・パターンとムービーイラストを担当している[9]。
主な作品
テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
実写作品
テレビCM
PRアニメ
ゲーム
ミュージックビデオ
絵本
- 大橋学[注 18]『雲と少年』(1979年、自費出版)(2012年、復刻版出版)[1]
- 川北亮司 作・門野真理子 絵『ぷかぷからんど すてきなおくりもの』(2006年、理論社)キャラクターデザイン
脚注
注釈
- ^ 一時的にマッドハウスを離れてサンライズ作品の『ゼロテスター』と『勇者ライディーン』に参加したが、『ライディーン』の1話でロボット物は向いてないと悟り、そのまま降板。フリーの立場でマッドハウスに復帰した[4]。
- ^ 制作は1965年。初原画[2]。
- ^ 制作は1967年。
- ^ 制作は1967年。
- ^ 須田正巳の原画パートで動画を一本丸ごと担当[11]。
- ^ 第26話(最終回)を川尻善昭と2人で分け合い、Bパートを担当[4]。
- ^ 制作は1971年。
- ^ 制作は1979年。
- ^ 制作は1980年。
- ^ 制作は1984年。
- ^ 制作は1984年。
- ^ 制作は1984年。
- ^ 制作は1992年。
- ^ 「マオラムド」名義。
- ^ 『タイガーマスク』のオマージュ的作品[10]。
- ^ 制作は1974年。防火教育目的のマッドハウス制作のPRアニメ。出崎統が演出以外にキャラデや作監も担当[10]。
- ^ 永島慎二との合作。
- ^ 「渚マオ」名義。
出典
外部リンク