大村 純鎮(おおむら すみやす)は、肥前国大村藩の第9代藩主。
生涯
宝暦9年(1759年)8月20日、第8代藩主・大村純保の次男として江戸で生まれた。宝暦10年(1760年)12月16日に父が死去したため、宝暦11年(1761年)2月16日に幼くして家督を継いだ。
寛政元年(1789年)8月より倹約、文武の奨励などを中心とした藩政改革を行い、寛政2年(1790年)に藩校の静寿園を五教館と改称し、藩士だけでなく百姓・町人の入校も認めた[1]。寛政6年(1794年)1月10日、江戸愛宕下の大村藩上屋敷が火災で類焼した。同年、この上屋敷の土地は幕府に収公され、替地として永田町の土地と移転費用が渡された。
享和3年(1803年)1月23日、家督を長男の純昌に譲って隠居した。
文化11年(1814年)7月16日に大村で死去した。享年56。
系譜
父母
正室
側室
子女
養女
脚注
- ^ 静寿園の頃から大村藩の藩校は藩士子弟に限らず開かれていた。
- ^ 針尾氏出身で文化11年(1812年)藩命により隈鎮豊の養子となり同年珍子と結婚。文政元年(1818年)に城代となり、同3年(1820年)に藩命で針尾家に戻り同家相続。政納は後妻を迎えているため、早期に死別か。
- ^ 有馬孝純の長男
大村氏 大村藩9代藩主 (1761年 - 1803年) |
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