大字則松

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大字則松
大字則松の位置(北九州市内)
大字則松
大字則松
北緯33度51分10.26秒 東経130度43分42.82秒 / 北緯33.8528500度 東経130.7285611度 / 33.8528500; 130.7285611
日本
都道府県 福岡県
市町村 北九州市
八幡西区
町名制定 1889年明治22年)4月1日
人口
2024年令和6年)3月31日現在)[1]
 • 合計 117人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
807-0831[2]
市外局番 093(北九州MA[3]
ナンバープレート 北九州

大字則松(おおあざのりまつ)は福岡県北九州市八幡西区大字住居表示未実施。郵便番号は807-0831。

地理

八幡西区の北部西側に位置し、北から東に大字陣原、東に大字穴生、南に北筑、南西に大字永犬丸八枝、西から北西に則松、北西に則松東と接する。

河川

湖沼

  • 栃木上池
  • 栃木下池
  • 氏田谷上池
  • 氏田谷下池

地域の特徴

かつて遠賀郡則松村と呼ばれていた地域のうち、宅地化されずに残った部分である。西縁に沿って金山川が北西流する。町域の東側は山林であり、瀬板の森公園の一部となっている。西側には水田が広がる。南西部に毘沙門堂がある。

歴史

かつて則松村の枝郷の氏田村とも呼ばれていた地域である。かつては則松地区の金山川流域には水田が広がっていたが、2022年現在、水田がまとまって残っているのはこの地域だけである。大字則松の、栃の木,氏田谷がそれぞれ池の名前として残っている。

沿革

  • 1878年(明治11年)11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての遠賀郡が発足。遠賀郡則松村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、永犬丸村、則松村、本城村、折尾村、陣原村の5村が合併し、洞南(くきなみ)村が発足。則松村は洞南村大字則松となる。
  • 1904年(明治37年)7月1日 - 洞南村が改称し、折尾村が発足。洞南村大字則松は折尾村大字則松となる。
  • 1918年(大正7年)12月15日 - 折尾村が町制施行し、折尾町が発足。折尾村大字則松は折尾町大字則松となる。
  • 1944年(昭和19年)12月8日 - 折尾町が八幡市に編入。折尾町大字則松は八幡市大字則松となる。
  • 1963年(昭和38年)2月1日 - 八幡市、戸畑市小倉市若松市門司市の5市が合併し、北九州市が発足。八幡市大字則松は北九州市八幡区大字則松となる。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 北九州市が政令指定都市に指定され、八幡区戸畑区小倉区若松区門司区の5区を設置。北九州市八幡区大字則松は北九州市八幡区大字則松となる。
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 八幡区が八幡西区八幡東区に分かれ、北九州市八幡区大字則松は北九州市八幡西区大字則松となる[4]
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 大字則松の一部が則松一丁目 - 二丁目になる[5]
  • 1977年(昭和52年)6月1日 - 大字則松の一部が泉ケ浦一丁目,大膳一丁目,則松三丁目 - 則松七丁目になる[6]
  • 1979年(昭和54年)6月1日 - 大字則松の一部が瀬板二丁目になる。大字則松の一部が則松五丁目に編入する[7]
  • 1989年(平成元年)6月1日 - 大字則松の一部が泉ケ浦三丁目に編入する[8]
  • 1991年(平成3年)6月1日 - 大字則松の一部が松寿山一丁目 - 三丁目になる[9]
  • 1994年(平成6年)6月1日 - 大字則松の一部が泉ケ浦一丁目,則松六丁目に編入する[10]
  • 1995年(平成7年)6月1日 - 大字則松の一部が松寿山三丁目に編入する[11]
  • 1999年(平成11年)6月1日 - 大字則松の一部がさつき台一丁目になる。[12]
  • 2001年(平成13年)6月1日 - 大字則松の一部がさつき台二丁目になる。[13]
  • 2002年(平成14年)6月1日 - 大字則松の一部が北筑一丁目・三丁目になる。[14]
  • 2012年(平成24年)6月1日 - 大字則松の一部が則松東一丁目,二丁目になる[15]

世帯数と人口

2024年(令和6年)3月31日現在(北九州市発表)の世帯数人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
大字則松 65世帯 117人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年) 973人 [16]
2000年(平成12年) 1,045人 [17]
2005年(平成17年) 1,106人 [18]
2010年(平成22年) 1,063人 [19]
2015年(平成27年) 457人 [20]
2020年(令和2年) 464人 [21]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 226世帯 [16]
2000年(平成12年) 230世帯 [17]
2005年(平成17年) 238世帯 [18]
2010年(平成22年) 243世帯 [19]
2015年(平成27年) 38世帯 [20]
2020年(令和2年) 39世帯 [21]

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[22]

大字 番地 小学校 中学校
大字則松 全域 北九州市立則松小学校 北九州市立則松中学校

施設

医療施設

  • 丘ノ規病院

寺社

  • 毘沙門堂

公園

  • 瀬板の森公園

脚注

  1. ^ a b 北九州市の人口(町別)#八幡西区” (XLS). 北九州市 (2024年4月19日). 2024年8月10日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2022年8月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年8月15日閲覧。
  4. ^ 北九州市政だより 昭和47年4月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  5. ^ 北九州市政だより 昭和49年4月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  6. ^ 北九州市政だより 昭和52年5月15日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  7. ^ 北九州市政だより 昭和54年6月15日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  8. ^ 北九州市政だより 平成元年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  9. ^ 北九州市政だより 平成3年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  10. ^ 北九州市政だより 平成6年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  11. ^ 北九州市政だより 平成7年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  12. ^ 北九州市政だより 平成11年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  13. ^ 北九州市政だより 平成13年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  14. ^ 北九州市政だより 平成14年6月1日版”. 北九州市広報室広報課. 2023年7月30日閲覧。
  15. ^ “総務省告示第211号”, 官報 (国立印刷局) 号外第95号, (2013-05-08) 
  16. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2022年6月12日閲覧。
  17. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2022年6月12日閲覧。
  18. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2022年6月12日閲覧。
  19. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2022年6月12日閲覧。
  20. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2022年6月12日閲覧。
  21. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年6月12日閲覧。
  22. ^ 北九州市立小学校・中学校 通学区域検索”. 北九州市教育委員会 総務部企画調整課 (2022年5月11日). 2022年6月18日閲覧。

関連項目