大久保 教倫(おおくぼ のりみち)は、駿河松長藩の第4代藩主。荻野山中藩大久保家4代。
宝暦元年(1751年)、第3代藩主・教起の長男として生まれる。宝暦5年(1755年)に父が死去したため家督を継いだ。明和4年(1767年)12月16日、従五位下、長門守に叙任する。明和7年(1770年)11月26日、田安門番を務めていたとき、番舎を焼失させるという不手際を起こしたため、明和8年(1771年)まで出仕を停止させられた。
安永2年(1773年)5月9日に死去した。享年23。子はなく、跡を養子の教翅が継いだ。
系譜
父母
婚約者
養子
大久保氏 松長藩4代藩主 (1755年 - 1773年) |
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駿河松長藩 | |
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