多良間村立多良間小学校(たらまそんりつ たらましょうがっこう)は、沖縄県宮古郡多良間村にある公立小学校[1]。1891年(明治24年)に創立された。多良間島唯一の小学校であり、現在は1学年1クラス編成である。
概要
1948年(昭和23年)に、多良間初等学校から多良間小学校に改称。多良間島の人口減のために1950年ころをピークに児童数が減っている。現在は1学年の児童数は10名台から30名台で推移しており1学年1クラス編成である。岩手県宮古市の宮古市立愛宕小学校と1979年に姉妹校提携を結んでおり、両校間では児童の交換学習や作品交換をしている。卒業生は全員が430mほど離れた多良間中学校に進学する。
児童数
- 2012年6月 = 1年生14名、2年生11名、3年生13名、4年生30名、5年生15名、6年生27名
児童数の推移は、「沿革」の「児童数の推移」を参照。
教育重点目標
- 基礎・基本を確実な知識・技能の確実な習得と活用する力の育成
- 学習規律の徹底と学習を支える力の育成
校歌
校章
波間から上がる太陽をデザインし、中央上部に「多小」の文字を配する。
沿革
- 1891年(明治24年) - 1882年に開設された平良尋常小学校の分校として授業を開始
- 1893年(明治26年) - 多良間尋常小学校として独立
- 1900年(明治33年) - 水納島に分教場を設置
- 1902年(明治35年) - 瓦葺校舎が竣工する
- 1903年(明治36年) - 高等科を併置し、多良間尋常高等小学校と改称
- 1919年(大正8年) - コレラ流行のため60日間学校を閉鎖
- 1919年(大正8年) - 台風のため水納分教場が全壊する
- 1926年(大正15年) - 水納分教場が瓦葺となる
- 1931年(昭和6年)8月 - 台風のため校舎3教室が倒壊し、残余の教室も大破損する
- 1932年(昭和7年)12月 - 鉄筋コンクリートの校舎が竣工する。総建坪1152平方メートル、教室数16
- 1937年(昭和12年) - 女子青年学校が開校する
- 1940年(昭和15年) - 国民学校に改称する
- 1945年(昭和20年) - 爆弾投下と機銃掃射により、建物・立ち木に甚大な被害を受け、3教室が使用不能になる。19年度3学期から敗戦まで休校となる
- 1946年(昭和21年) - 国民学校を初等学校に改め、初等科・高等科の別を廃して8か年の義務教育とする
- 1948年(昭和23年) - 多良間小学校と改称される
- 1949年(昭和24年) - 男女共学となる
- 1957年(昭和32年) - 水納分校が独立し、水納小学校となる
- 1959年(昭和34年) - パン・ミルクによる学校給食を開始する
- 1961年(昭和36年) - 校章を制定
- 1965年(昭和40年) - 水納小学校が再度分校になる
- 1977年(昭和52年) - 水納分校が廃校となる
- 1979年(昭和54年) - 宮古市立愛宕小学校と姉妹校提携を結ぶ
- 1980年(昭和55年) - 栄養職員が配置され、完全給食を実施
児童数の推移
- 1891年(明治24年)60名(男50名、女10名)
- 1900年(明治33年)345名(男204名、女141名)
- 1907年(明治40年)453名(男266名、女187名)
- 1920年(大正9年)531名(男276名、女255名)
- 1930年(昭和5年)612名(男312名、女299名)
- 1940年(昭和15年)614名(男328名、女286名)
- 1947年(昭和22年)812名(男421名、女391名)
- 1950年(昭和25年)609名(男332名、女277名)
- 1960年(昭和35年)498名(男257名、女241名)
- 1970年(昭和45年)441名(男223名、女218名)
- 1980年(昭和55年)229名(男115名、女114名)
- 1989年(平成元年)159名(男85名、女74名)
- 2010年(平成22年)130名(男69名、女61名)
- 2011年(平成23年)113名(男61名、女52名)
- 2012年(平成24年)110名(男58名、女52名)
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク