塚本 毅(つかもと たけし、1896年〈明治29年〉[1]- 1973年〈昭和43年〉12月7日[1])は昭和期の日本の外交官。
経歴
熊本県玉名郡に生まれる[1][2]。熊本県立玉名中学校(1916年卒業)を経て[3]、1921年(大正10年)に東京高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業した[4]。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格し[1]、1921年に外務省に入省した[1]。若手の頃から白鳥敏夫らとともに革新派官僚と呼ばれる。
外務省アメリカ局第二課長[5]、スイス公使館書記官、外務省南洋局長心得、拓務省拓南局参与[6]、ハルビン総領事や[7]、スイス公使、外務省通商局勅任事務官、サイゴン公使、仏印総督府総務長官などを経て、1945年(昭和20年)から翌年にかけて最後の仏印大使を務めた[1]。1946年(昭和21年)5月に退官した[1]。
戦後、公職追放を受けた。のち、国際港湾会議準備会事務総長[8]、輸入自動車協会専務理事[9]、日本イスラエル協会理事長[10]。
著書
訳書
- フレッド・エチ・アルドリチ著『國際聯盟の法理學的批判』巌松堂書店 1923年
脚注
参考文献
- 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年。