堀河 護麿(ほりかわ もりまろ、1873年(明治6年)8月13日[1] - 1926年(大正15年)8月24日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。位階は正三位勲三等[2]。
経歴
侍従・堀河康隆の五男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1896年(明治29年)1月20日、子爵を襲爵した[1][5]。
1902年(明治35年)7月25日、貴族院子爵議員補欠選挙に当選し[6][7]、研究会に所属して活動し[2]、1925年(大正14年)7月9日まで4期在任した[2][4]。その他、南島拓殖製糖会社取締役を務めた[4]。
1926年8月24日薨去。墓所は青山霊園1-ロ-8-20。2019年現在、墓所は無縁の状態となっている[8]。
親族
住所:東京府北多摩郡狛江村和泉二〇七五[9]。
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。