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坊西 浩嗣(ぼうにし こうじ、1968年12月30日 - )は、岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(捕手)。
玉野市立東児中学校から岡山南高へ進学。4番・捕手として1986年春の第58回選抜に出場。加百勝吾の好投もあり、準決勝に進むが池田高に敗れる[1]。同年夏の岡山大会は決勝で水本勝己のいた倉敷工に大敗。全国選手権出場には届かなかった。
高校卒業後は、社会人野球の三菱重工三原に入部。同期には野村貴仁がいる。野村らとバッテリーを組み、1988年の都市対抗に出場するが、1回戦で大昭和製紙北海道の渡部勝美に完封負けを喫する[2]。
1990年オフ、ドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。大型捕手として期待され、1年目の1991年は10試合に先発マスクを被る。その後も徐々に力をつけていくが、正捕手であった吉永幸一郎の壁は厚く、あまり出場機会に恵まれなかった。しかし1995年にはシーズン中盤に吉永が故障、その後は指名打者に回る。同年は川越透と併用され、37試合に先発出場。
1997年には城島健司が正捕手となり、その控えを務める。1999年9月19日の千葉ロッテマリーンズ戦ではブライアン・ウォーレンからサヨナラヒットを放った。貴重な左の代打の切り札として、ダイエーのリーグ優勝に貢献。同年の中日との日本シリーズには、第1戦に代走として出場。2000年にはシーズン序盤に城島が負傷欠場、その代役として43試合に先発出場。城島復帰後もシーズン終盤に代打として起用され成功率は4割を誇った。8月16日の対オリックス・ブルーウェーブ戦では同点適時打、9月8日からの天王山と位置づけられた対西武ライオンズ戦では初戦に決勝打、2戦目は同点本塁打を放つと9月30日の対近鉄バファローズ戦ではここまで11三振(4安打)を喫していた左腕のナルシソ・エルビラから同点適時打を放つなど、チームの主力選手として印象に残る活躍を見せ、リーグ2連覇に貢献した。
翌年以降も控え捕手、代打として起用されるが、打撃不振に陥り、2003年シーズンオフに現役を引退。
引退後は、2005年に四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスのコーチを務めた。プロ野球マスターズリーグでは福岡ドンタクズの選手として、2004-05年シーズンの首位打者となった(打率.550)。
また、福岡のラジオ局CROSS FMの金曜20:00の信川スポーツでコメンテーターを務めているほか、福岡県久留米市のコミュニティFM・ドリームスエフエムでも自身の番組を持っている。
2008年4月9日、任意引退取り消し、自由契約選手公示。社会人野球・社会人野球クラブチームである鳥取キタロウズのコーチ兼選手となる。
2010年10月より、福岡県福岡市東区多の津にある「NBFスポーツ塾」を開校。野球チーフコーチとして、小中学生の育成に取り組んでいる。
2011年まではJ SPORTS、2012年は日テレプラス、2013年からはFOX SPORTSで放送されている、ソフトバンク球団制作中継の野球解説者を務める。
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