土岐 頼勝(とき よりかつ)は、江戸時代前期の旗本。
天正6年、大和国に生まれる[1][2]。
慶長年間に、父の頼次と共に家康に拝謁する。慶長19年(1614年)、父の死去により家督を継ぎ、大坂の陣に供奉する[3]。
寛永2年(1625年)12月11日、美濃国本巣・中島二郡のうち500石を加増され、知行1000石となり、高家に列する[4][5][6]。 寛永11年(1634年)、家光上洛に供奉し、従五位下土佐守に叙任される[7][8]。
寛文5年(1665年)12月16日に老齢のため隠居[9]。
寛文6年(1666年)10月14日死去。墓所は東京駒込の白華山養源寺[10]。法名は観照院円徳寿鑑[11][12]。
脚注