土岐頼勝

 
土岐 頼勝
時代 江戸時代前期
生誕 天正6年7月8日1578年8月21日
死没 寛文6年10月14日1666年11月10日
別名 左馬助、土佐守
墓所 養源寺(東京都文京区)
官位 従五位下
幕府 江戸幕府 高家
主君 徳川家康秀忠家光家綱
氏族 土岐氏
父母 父:土岐頼次、母:湯島武房の娘
兄弟 頼勝、頼高、女子(土岐益頼室)、頼泰
山名豊国の娘
頼義、頼成、頼長、頼昌、娘(菅沼次勝室)
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土岐 頼勝(とき よりかつ)は、江戸時代前期の旗本。

天正6年、大和国に生まれる[1][2]

慶長年間に、父の頼次と共に家康に拝謁する。慶長19年(1614年)、父の死去により家督を継ぎ、大坂の陣に供奉する[3]

寛永2年(1625年)12月11日、美濃国本巣中島二郡のうち500石を加増され、知行1000石となり、高家に列する[4][5][6]。 寛永11年(1634年)、家光上洛に供奉し、従五位下土佐守に叙任される[7][8]

寛文5年(1665年)12月16日に老齢のため隠居[9]

寛文6年(1666年)10月14日死去。墓所は東京駒込の白華山養源寺[10]。法名は観照院円徳寿鑑[11][12]

脚注