国民精神総動員中央連盟

国民精神総動員中央連盟[1]
国民精神総動員中央連盟発会式。 1937年10月12日、日比谷公会堂。
国民精神総動員中央連盟発会式。
1937年10月12日、日比谷公会堂
設立 1937年10月12日[2]
解散 1940年10月[3]
所在地 日本の旗 日本東京府東京市麹町区内幸町二丁目 旧貴族院[1]
主要人物 会長 海軍大将有馬良橘[1]海後勝雄
主眼 挙国一致国民精神総動員の趣旨の達成[1]
会員数 74団体[1]
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国民精神総動員中央連盟(こくみんせいしんそうどういんちゅうおうれんめい、旧字体國民精神總動員中央聯盟󠄁[4])は、田中義一内閣による1929年(昭和4年)の総動員計画設定処務要綱に始まる計画の中で、1937年から1940年まで活動した日本政府の外郭団体である[5]

沿革

日中戦争勃発を受け「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」を方針とした国民運動が企図され、印刷物・レコードの指導、講演会、講師の派遣・斡旋を通じて国民精神総動員運動の趣旨を普及させることを目的に設置された[2]

1937年10月12日東京市日比谷公会堂で結成式を挙行、連盟の趣旨と決意を内外に声明し[1]、事務局が置かれた。道府県知事市町村長のもとで地方組織が整備され指導者錬成所も置かれ実行にあたった[5]

さらに1939年2月に政府は運動強化方策を決定し、同年3月国民精神総動員委員会を政府内に設置、中央連盟と委員会との二本立て体制で運動を推進した[2]

日中戦争長期化のもと運動のさらなる強化の必要から、1940年4月、中央連盟と委員会は国民精神総動員本部に改組されたが、同年10月大政翼賛会体制発足に伴い包摂され解散した[3]。同時に、日本統治下にあった朝鮮朝鮮総督府総督官房には国民総力課が設置され国民総力運動に関する事務を所管し、朝鮮総督を総裁とする国民総力朝鮮連盟が活動した[6]日本統治時代の台湾では、台湾総督府国民精神総動員本部が運動を推進した[7]

関連人物・団体

主務官庁は、内務省、内閣情報委員会[注釈 1]、及び文部省であった[2][5]

発起人は、酒井忠正岡部長景井田磐楠松井茂小泉六一香坂昌康藤原銀次郎中川望月田藤三郎の8人であり、海軍大将有馬良橘が初代会長に就任[2]。事務局には教育学者海後勝雄が関与した[8]

加盟団体は全国神職会・全国町村長会・全国市長会在郷軍人会・女性団体・青年団少年団・産業団体など74団体[注釈 2]

提携の国民精神総動員委員会は、内閣(発足当時は検事総長大審院長・枢密院議長を歴任した平沼騏一郎平沼内閣)の所管であり、委員長は陸軍大将の荒木貞夫

朝鮮の国民総力連盟は、初代総裁が陸軍大将の南次郎

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 1940年に発足した情報局の前身である。
  2. ^ 1936年の思想犯保護観察法に基づき思想犯保護観察所に指定された団体には、神社・社寺も含まれていた。

出典

  1. ^ a b c d e f 『日本文化団体年鑑 昭和十三年版』. 財団法人日本文化中央連盟. (1938-05-01). p. 110-113 
  2. ^ a b c d e 国民精神総動員中央連盟”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2018年1月12日閲覧。
  3. ^ a b 国民精神総動員本部”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2018年1月12日閲覧。
  4. ^ 国民精神総動員中央聯盟 (1939). 國民精神總動員中央聯盟事業槪要. 国民精神総動員中央聯盟. doi:10.11501/1071444. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071444/2 
  5. ^ a b c 国民精神総動員運動”. 世界大百科事典第2版. 平凡社. 2018年1月12日閲覧。
  6. ^ 朝鮮総督府総督官房国民総力課』、国立公文書館。
  7. ^ 新井淑子 (2007年). “植民地台湾における戦時下の玉川国民学校と平和国民学校の教員の意識と実態<教育科学>”. 埼玉大学紀要(教育学部)56巻2号. 埼玉大学教育学部. p. 22. 2018年11月6日閲覧。
  8. ^ 川津貴司、2008年。

文献

史料

参考文献

  • 川津貴司、「日本青年教師団と海後勝雄 : 戦時下の教員運動におけるナショナリズムと主体性」 『近代教育フォーラム』 2008年 17巻 p.191-204, doi:10.20552/hets.17.0_191, NAID 110009926108
  • 国民精神総動員運動』 - コトバンク
  • 国民精神総動員委員会”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2018年8月26日閲覧。
  • 朝鮮総督府総督官房国民総力課”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2018年8月26日閲覧。