呉 光鮮(オ・グァンソン、吳光鮮、오광선)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の軍人。
経歴
1896年5月、京畿道龍仁に生まれる。満州に渡り新興武官学校を卒業。独立軍に参加し、西路軍政署の第1大隊中隊長、新興武官学校教官、別動隊長、警備隊長を歴任した。1933年2月、中央陸軍軍官学校洛陽分校韓人特別班教官。1937年1月、北京で日本の警察に逮捕され3年間服役した[1]。釈放後は再び満州で活動した。終戦後は光復軍国内支隊長。1946年1月、陸海空軍出身同志会訓練部長[2]。1947年、大同青年会訓練院長[3]。
1949年、陸軍士官学校第8期特別第1次任官[4]、任大領(軍番12441番)、護国軍第101旅団長[5]。1949年、ソウル兵事区司令官[6]。朝鮮戦争では、江原道地区兵事区司令官兼戒厳民事部長(1950年)、忠清南道地区兵事区司令官、済州地区兵事区司令官(1952年2月)、韓国勤務団(朝鮮語版)第100師団長(1953年1月)[7] を歴任した。休戦後は大田地区衛戍司令官、全羅北道地区兵事区司令官を歴任。1956年7月、予備役編入。
1962年、建国勲章独立章受章[1]。
2015年5月、戦争記念館が「5月の護国人物」に選定[1]。
出典
軍職
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先代 -
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大韓民国陸軍江原道地区兵事区司令官 初代:1950.10.16 - 1951.2.2
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次代 高時福
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先代 李炯錫
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大韓民国陸軍忠清南道地区兵事区司令官 第2代:1951.4.6 - 1952.1.20
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次代 李大永
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先代 李大永
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大韓民国陸軍済州道地区兵事区司令官 第3代:1952.1.8 - 1953.1.27
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次代 趙禧増
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先代 金学聲
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大韓民国陸軍全羅北道地区兵事区司令官 第6代:1955.3.29 - 1956.7.9
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次代 金志赫
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