呉 世璠(ご せいはん)は、三藩の乱の時期に存在した周の第2代(最後)の皇帝。
生涯
周の初代皇帝・昭武帝呉三桂の孫、呉応熊と和碩恪純公主(太宗ホンタイジの娘)との間の子、呉世霖の同母弟。昭武元年(1678年)に即位した祖父がすぐに崩御したため即位したが、祖父の死により清軍の攻勢はさらに強まり、湖南を皮切りに長沙、重慶、成都を次々に制圧し、洪化4年(1681年)に逃れた昆明が清軍に陥落されると首を吊って自害し、ここに周は滅亡した。この前後に平南王尚之信、靖南王耿精忠の両藩も取り潰され、三藩の乱は鎮圧された。
康熙22年(1683年)には台湾の鄭氏政権も清に降伏、こうして清の中国への直接支配体制が完成した。
- 先代
- 昭武帝
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- 周の第2代皇帝
- 1678年 - 1681年
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- 次代
- 滅亡
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