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呂梁市(りょりょう-し)は、中華人民共和国山西省中西部に位置する地級市。
地理
山西省の中西部に位置し、忻州市、太原市、晋中市、臨汾市に接する。西は黄河を隔てて、陝西省楡林市に接する。
歴史
春秋時代、呂梁を支配する晋はこの地に屈邑、平陵邑、中陽邑、瓜衍県などを設置していたのが最も古い行政区域の記録である。戦国時代、晋が韓、趙、魏に分裂すると、呂梁は趙の領域となった。秦の始皇帝の時、太原郡が設置され大陵、茲氏等の県が設置された。
太原郡の行政区分は漢代まで使用されたが、前125年(元朔4年)に西河郡が分置された際に呂梁もこちらの管轄となっている。西晋を滅ぼした匈奴の劉淵が一時期、市内の左国城(現・方山県)を拠点としていたことがある。北魏の時、また太原郡に戻った。北魏の東西分裂のあと、北斉の斛律金が万里の長城を作る拠点としていたこともある。[1]
隋代に離石郡、西河郡、太原郡、楼煩郡、竜泉郡に分割された。唐代の州制施行に伴い石州、汾州、隰州、嵐州、并州(後に太原府と改称)の管轄となった。その後歴代王朝での行政改編が行われたが、呂梁が周囲の行政区分に分割される状況は民国まで続いた。
呂梁が単一の行政区として編成されたのは、1971年の呂梁地区の設置が初めてである。2004年7月に地級市に昇格し呂梁市が成立した。
行政区画
1市轄区・2県級市・10県を管轄する。
年表
この節の出典[1][2]
興県専区
汾陽専区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国山西省汾陽専区が成立。汾陽県・交城県・文水県・清源県・晋源県・徐溝県・孝義県・中陽県・石楼県が発足。(9県)
- 1951年3月16日
- 晋源県が太原市に編入。
- 石楼県が臨汾専区に編入。
- 中陽県が興県専区に編入。
- 汾陽県・文水県・交城県・清源県・徐溝県・孝義県が楡次専区に編入。
呂梁地区
- 1971年4月6日 - 忻県地区興県・嵐県、臨汾地区石楼県、晋中地区孝義県・文水県・交城県・汾陽県・離石県・中陽県・臨県を編入。呂梁地区が成立。(13県)
- 離石県・交城県・臨県の各一部が合併し、方山県が発足。
- 孝義県・中陽県の各一部が晋中地区霊石県、臨汾地区隰県の各一部と合併し、交口県が発足。
- 忻県地区静楽県の一部が分立し、婁煩県が発足。
- 1973年10月5日 - 離石県・中陽県の各一部が合併し、柳林県が発足。(14県)
- 1975年11月8日 - 婁煩県が太原市に編入。(13県)
- 1992年2月10日 - 孝義県が市制施行し、孝義市となる。(1市12県)
- 1996年4月29日 - 離石県が市制施行し、離石市となる。(2市11県)
- 1996年8月20日 - 汾陽県が市制施行し、汾陽市となる。(3市10県)
- 2003年10月23日 - 呂梁地区が地級市の呂梁市に昇格。
呂梁市
- 2003年10月23日 - 呂梁地区が地級市の呂梁市に昇格。(1区2市10県)
交通
鉄道
道路
脚注
外部リンク