吉田 重信(よしだ しげのぶ)は、江戸時代前期の武士、弓術家(日置流印西派)。
略歴
弓術家で日置流印西派を興した吉田重氏(一水軒印西)の子。寛永4年(1628年)12月16日、酒井忠世、酒井忠勝[注釈 2]の推挙により大御所徳川秀忠に拝謁し、召されて旗本に列した[注釈 3][注釈 4]。
寛永20年(1643年)4月22日、浅草三十三間堂の落成の際に射初め(いぞめ)するよう命ぜられた。明暦2年(1656年)4月23日、江戸城二の丸において番士らの大的上覧があり、これを差配した。寛文2年(1662年)5月15日、死去。
脚注
注釈
- ^ 御家人(先手組与力)。4代後の吉田佳国が旗本に昇格。
- ^ いずれも当時、将軍家光付きの年寄衆。
- ^ 本朝武芸小伝では秀忠及び将軍家光に拝謁したとある。
- ^ 寛政譜に重信の知行についての記載はないが、嫡男重宗は重信存命中の正保4年(1648年)12月27日に大番に列し、廩米200俵を賜っている。以後の子孫も同様に廩米200俵。
出典
参考文献