吉川 安平(よしかわ やすひら、1873年(明治6年)11月17日 - 1959年(昭和34年)1月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
山口県出身。吉川弥之助の長男として生れる。周陽学舎、鴻城義塾、山口高等学校を経て、1895年12月、海軍兵学校(22期)を卒業し、1897年1月、海軍少尉任官。日露戦争では、第14水雷艇隊艇長として出征し、日本海海戦には、駆逐艦「陽炎」艦長として参加した。海兵副官を経て、1909年5月、海軍大学校(甲種6期)を卒業した。
「豊橋」副長、第1潜水艇隊司令、イギリス駐在、海大教官、「伊吹」副長、第3艦隊参謀長、「利根」艦長、艦政本部造船造兵監督官、海軍省人事局第1課長、「比叡」艦長などを歴任し、1919年12月、海軍少将に進級。、第2艦隊参謀長、海軍水雷学校長、海軍潜水学校長、艦政本部第7部長、同第3部長、呉工廠長などを経て、1923年12月、海軍中将となった。以後、艦政本部長、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官を歴任。1929年3月、予備役に編入された。後に山口県教育会長を勤めた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」97頁。
- ^ 『官報』第14号「叙任及辞令」1927年1月17日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。