古賀 辰四郎(こが たつしろう、1856年2月23日(旧暦安政3年1月18日) - 1918年(大正7年)8月15日)は、尖閣諸島を開拓した日本の実業家である。
略歴
1856年(安政3年)、筑後国上妻郡山内村(現:福岡県八女市山内)に、茶の栽培と販売を行う農家の三男として生まれる[1]。
1879年(明治12年)、24歳で那覇に渡り、寄留商人として茶と海産物業の古賀商店を開業。ただし、茶を扱った記録は見つかっていない[1]。1882年(明治15年)、石垣島大川に支店を開設[1]。
1884年(明治17年)、人を派遣して久場島を探検させる[2]。翌年も人を派遣して尖閣諸島で鳥毛を採取させ、外国人に送付して高価で取引可能であることを知る[3]。1892年(明治25年)、大東諸島開発の許可を得る[1]。
1895年(明治28年)、古賀自ら船を艤装して久場島に上陸[4]。翌年、明治政府から尖閣諸島開拓の許可を受け、魚釣島、久場島、南小島、北小島の4島を30年間無料で借り受ける[4]。さらに翌年には漁夫等35名を派遣[4]。
1900年(明治33年)5月、古賀の依頼により宮島幹之助、黒岩恒による尖閣諸島の調査が行われる[1][4]。
1909年(明治42年)、養殖興業の功績を認められ藍綬褒章を受章[5]。
1918年(大正7年)、死去。
記念碑
沖縄県石垣市石垣港離島ターミナル近くの八島緑地公園に、古賀辰四郎の尖閣列島開拓等の業績を記念した、「古賀辰四郎 尖閣列島開拓記念碑」が建てられている[6]。
家族
- 古賀家
脚注
参考文献
- 沖縄朝日新聞社編『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社、1937年。
関連項目
外部リンク