古賀 新三(こが しんぞう、1907年?[1] - 1993年2月[2])は、日本の陸上競技選手、専門はマラソン。戦前から戦後間もない時期にかけて、各地の駅伝やマラソン大会に出場し、優勝を重ねる活躍をした。選手として活躍していた当時は、三井山野炭鉱に所属する[3]、炭坑労働者であった[4]。
おもな成績
特記のない限り、種目はマラソン:
- 1947年12月7日:第1回 朝日マラソン(熊本県:後の福岡国際マラソンの前身)
- 2位 - 2:48:06
- 優勝候補と目されていた古賀は、トップで中間点を折り返したが、残り7kmで右足を痛め、最後の2kmは歩いてゴールした。優勝は、2:45:45を出した和田敏一[4]。
- 1949年12月4日:第3回 朝日マラソン(静岡県)
- 優勝 - 2:40:26
- 既に42歳になっていた古賀は、若手だった山田敬蔵とのマッチレースを制して優勝したが、これを機に本格的なマラソン競技から引退した[1]。
脚注
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