南里 征典(なんり せいてん、1939年8月24日 - 2008年1月18日)は、日本の小説家。冒険小説や官能サスペンスなどの分野で活躍した。
福岡県糟屋郡宇美町出身。本名・南里勝典。福岡県立香椎高等学校を中退。上京し大下宇陀児に師事する。1959年同人誌「福岡文芸」創刊に参加。1960年から日本農業新聞の記者となり、以後20年間勤務する。
1978年に立原夏彦名義で「危険な童話」を第4回問題小説新人賞に応募、受賞しなかったものの、翌1979年の「問題小説」9月号に同作を「鳩よ、ゆるやかに翔べ」と改題し、南里征典名義で発表する。1980年に新聞記者を辞めて執筆活動に専念する。同年、アマゾン川上流の原爆製造秘密基地をめぐる冒険小説『獅子は闇にて涙を流す』を一挙掲載で発表。続いて1981年に、ブラジルで家族を皆殺しにされた男が謎の組織に立ち向かう『獅子は怒りて荒野を走る』、日本海海戦で沈没したロシアの輸送艦の引き揚げをめぐる『黄金海峡』など多数の冒険小説を書き下ろしで発表。1980年代の冒険小説を代表する作家の一人となる[1]。
当時の創作姿勢について、電源開発におけるダム問題を題材とした『蒼き湖の叛乱』(1981年)のあとがきでは「わたしたちと同じ生活者が、大きな時代の仕組みの中で裏切られたり、踏み潰されてゆくときの痛みと戦き、怨念といったものが起爆剤となって、戦いにたちあがる、という私なりの切り口の面白い小説世界(ハード・ロマン)を展開したい」と述べている。
また1980年に日中国交正常化10周年を記念した日中合作映画『未完の対局』[2]のノベライゼーションを担当、執筆中に吐血し胃と十二指腸の摘出手術を受けるが、入院中にも点滴を受けながら執筆、同作で日本文芸大賞現代文学賞受賞。
社会的な題材の作品として、中国残留孤児を扱った『死者に捧げる望郷歌』、クレジットカードの魔力を描いた『絢爛たる日蝕』、米自由化をテーマにした『怒りの爆殺荒野』なども執筆。 1982年に初めての新聞連載小説『薔薇よ黒豹を呼べ』で官能色のある作品を書き始めるが[3]、官能小説を意識して書いたのは、新聞連載の『黒真珠の女』からだという[4]。
また、1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。1984年『欲望銀行殺人事件』、1987年から『成城官能夫人』に始まる夫人ものシリーズ、特命課長シリーズなどを発表。「作家というものは、彼が生きている時代と社会と人間の、従軍記者である」という持論[5]のもとに、冒険小説に始まり、社会派ミステリー、伝奇ロマン、官能サスペンスなどの多彩な分野で執筆した。
推理小説として『オリンピック殺人事件』や、サスペンス中心の『鍾乳洞美女殺人事件』など、格闘技アクションとして天狼拳伝説シリーズや、特務武装巡察官・朱雀豪介シリーズ『王妃よ黒獅子を呼べ』などがある。 伝奇バイオレンス作品に、地下帝国アスカルダの超常戦士の戦いを描く『魔界戦記』シリーズがある[6]。1999年版『この文庫がすごい』の「元気が出る文庫」では『秘命欲望課長』がエントリーされた。
1992年にはアメリカ人冒険飛行家C.バンクボーンによる太平洋横断飛行の物語『紅の翼』で第1回日本文芸家クラブ大賞特別賞を受賞した。日本作家クラブでは、画家の小林秀実が理事長の時に副理事等を務め[3]、1994年から1999年まで『日本文芸家クラブ』2代目理事長を務める。野球は福岡以来、西武時代まで熱狂的なライオンズファンで、球場にも熱心に応援に通った。カラオケのレパートリーは演歌で「無法松の一生」「さざんかの宿」が得意。[3]
1999年、脳出血で倒れるも作家活動を継続していた。膵臓癌で死去。