南部 通信(なんぶ みちのぶ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。陸奥国八戸藩の第3代藩主。官位は従五位下・遠江守。
略歴
盛岡藩の第3代藩主・南部重信の子として誕生。生母は豪商松橋孫助の娘・澤(浄生院)。幼名は内匠。
元禄12年(1699年)、先代藩主で従兄にあたる南部直政の末期養子となり、同年5月に跡を継いだ。通信は有能な人物で、文武に優れ、馬術を得意とし、さらに茶道や和歌、蹴鞠にも通じた豊かな教養人でもあった。
藩政においては、倹約令の制定、物価の統制、凶作対策や買占めの取り締まり、文武の奨励など様々な藩政改革に着手して、藩政の発展に貢献した。
享保元年(1716年)8月24日、44歳で死去し、跡を長男・広信が継いだ。墓所は青森県八戸市の南宗寺。
系譜
父母
正室
側室
子女
南部氏 八戸藩3代藩主 (1699年 - 1716年) |
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