南部信誉

 
南部 信誉
時代 江戸時代後期
生誕 文化2年(1805年)11月
死没 文久2年8月12日1862年9月5日
別名 主税(通称
官位 従五位下丹波守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶家定家茂
陸奥七戸藩
氏族 南部氏
父母 南部信鄰:不詳
兄弟 信誉前田利和継室
正室森長義の娘
信賢
養子謹敦信民
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南部 信誉(なんぶ のぶのり)は、江戸時代後期の大名陸奥国七戸藩の第2代藩主官位従五位下丹波守

生涯

文化2年(1805年)11月、初代藩主・南部信鄰の長男として誕生。

文政4年(1821年)に父が死去したため、翌文政5年(1822年)正月に跡を継いだ。安政5年(1858年)に城主格となる。文久2年(1862年)8月、死去。享年58。

実子に南部信賢(啓之助・内室は南部利済の娘)がいたが、嘉永年間に、本藩藩主の利済の4男・謹敦を養子とした。しかし安政年間までには養嗣子を信民に替え[1]、信民が継いだ。

系譜

父母

正室

子女

養子

脚注

  1. ^ なお、「日本人名大辞典」および「岩手県史」、「系図纂要」では謹敦は南部利剛の旧名とし、「大武鑑 中巻」掲載の嘉永4年(1851年)の武鑑では利剛を『南部美濃守謹敦』と表記しているので、これらが正しい場合、謹敦は本家を継いだ利剛本人の可能性が高い。

参考文献

  • 上田正昭・西澤潤一・平山郁夫・三浦朱門監修『日本人名大辞典』(講談社、2001年)
  • 橋本博『改訂増補・大武鑑・中巻』(名著刊行会、1965年)
  • 『岩手県史 第5巻 (近世篇 第2)』(1963年)
  • 『系図纂要』