南島原市立吉川小学校(みなみしまばらしりつ よしかわしょうがっこう)は、かつて長崎県南島原市南有馬町甲にあった公立小学校。
2015年(平成27年)3月末に閉校し、南島原市立南有馬小学校に統合された。
概要
- 歴史
- 1875年(明治8年)に開校。2010年(平成22年)に創立135周年を迎えた。南島原市南有馬地区の小学校5校[1]の統合により、2015年(平成27年)3月末に閉校し、140年の歴史に幕を下ろした。
- 学校教育目標
- 「『やる気・すてき・元気』な吉川っ子の育成をめざして」
- 校章
- 校名の「吉」の文字を図案化したもの。
- 校区
- 住所表記で南島原市南有馬町の後に「甲1~4194番地、4227~7807番地、7821~7824番地、7833~7836番地」が続く地域。中学校区は南島原市立南有馬中学校[2]。
沿革
- 1875年(明治8年)9月 - 吉川名への小学校設置の議が起こり、東田原に草葺平屋1棟を建設し「吉川小学校」を創設。当初1学級編成とし、村里一政が教育にあたる。
- 1878年(明治11年)- 郡制の実施により、南高来郡の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月 - 吉川名下瀉甲713番地の瓦葺土蔵に増築を施し移転。
- 1889年(明治22年)
- 1月 - 「簡易吉川小学校」に改称。吉川名下瀉甲760番地の瓦葺2階建て建物1棟を購入し移転。学級数は2。修業年限を3年とする。
- 吉川名夏吉甲351番地の瓦葺平屋に夏吉分校を設置。
- 4月1日 - 町村制の施行により、南有馬村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)3月 - 「吉川尋常小学校」に改称。
- 1899年(明治32年)9月 - 児童数の増加で校舎がせまくなり、下瀉甲753番地に校舎を新築し移転。
- 1901年(明治34年)2月 - 夏吉分校を夏吉分教場とする。
- 1908年(明治41年)
- 4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
- 8月 - 吉川名下瀉甲759-760番地に移転。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1921年(大正10年)11月 - 併設の吉川農業補習学校が吉川実業補習学校に改称。
- 1925年(大正14年)12月 - 創立50周年を記念して校旗(校章)を制定(校旗が寄贈される)。
- 1932年(昭和7年)1月1日 - 南有馬村の町制施行に伴い、南有馬町立の小学校となる。
- 1941年(昭和16年)
- 4月1日 - 国民学校令の施行により、「南有馬町吉川国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年)。
- 11月 - 運動場の隅に奉安殿が完成。
- 1942年(昭和17年)11月 - 4教室を増築。運動場を拡張。
- 1946年(昭和21年)
- 1月 - 天皇・皇后のご真影を奉還。
- 3月 - 奉安殿を撤去。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科が改組され、「南有馬町立吉川小学校」となる。夏吉分教場を夏吉分校とする。
- 9月 - 校舎玄関を増築。
- 10月 - 吉川名青年団より土俵が寄贈される。
- 1948年(昭和23年)5月 - 保護者会を解散し、育友会を創設。
- 1951年(昭和26年)12月 - 夏吉分校の新校舎が完成。
- 1953年(昭和28年)11月 - 夏吉分校を会場に、第5回九州地区小学校幼稚園研究集会が開催される。
- 1954年(昭和29年)4月 - 電話が設置される。
- 1959年(昭和34年)8月 - 旧校舎の補修工事を実施。
- 1965年(昭和40年)10月 - 夏吉分校を会場に、西日本(中国・四国・九州・沖縄)僻地教育指導者研究会が開催される。
- 1967年(昭和42年)
- 3月 - 新校舎が完成。
- 6月 - 給食室が完成し、完全給食を開始。
交通アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの県道
参考資料
- 「南有馬町郷土誌」(1969年(昭和44年)11月5日発行, 南有馬町教育委員会)p.124 -
- 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「南有馬町」
脚注
関連項目
外部リンク