北野祐秀
北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月14日 - 2016年(平成28年)2月27日)は、大阪府出身のレスリング選手・レスリング指導者。 人物旧制大阪市立中学校(現・大阪府立いちりつ高等学校)から慶應義塾大学へ進学し[1]、1952年ヘルシンキオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級で出場して銀メダルを獲得した[2][3]。その後、レスリング世界選手権(1954年・東京)、1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)に出場していずれも銀メダルを獲得[1]。 1960年ローマオリンピックではレスリング日本代表監督を務めた[3][1]。また実業家として相撲茶屋初富を経営していた[1]。 2016年2月27日、心筋梗塞により死去[3][1]。85歳没。 脚注
外部リンク
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