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この項目では、同時代の曹操の部将について説明しています。後漢末の兗州刺史については「劉岱 (東萊)」を、その他の用法については「劉岱」をご覧ください。 |
劉 岱(りゅう たい)は、中国後漢末期の武将。曹操に仕えた。字は公山。本貫は豫州沛国(現在の江蘇省沛県周辺)。
経歴
建安4年(199年)、劉備が徐州刺史の車冑を殺害し、曹操の下から独立。曹操は劉岱・王忠を派遣して劉備を討伐させたが、勝利は得られなかった。この際に劉備は「お前たち百人が来たとしても私をどうすることも出来ぬ。曹公(曹操)自身が来るならどうなるかは分からぬが」と述べたという。劉岱は司空長史として曹操の征伐に付き従い、功績を挙げ、列侯に封ぜられた。
羅貫中の小説『三国志演義』では、同名の兗州刺史と事績が混同されている。詳細は劉岱 (東萊)を参照。
出典