劇団東京乾電池(げきだんとうきょうかんでんち)は、日本の劇団。1976年、オンシアター自由劇場を退団した柄本明、ベンガル、綾田俊樹によって結成された。座長を柄本明が務めている。また、設立当初のプロダクション人力舎に数年間所属していたこともある(業務提携扱い)。
略歴
1976年、結成される。旗揚げ公演は同年の12月29日、浅草木馬館にて上演された『花絵巻 江戸のずっこけ』。
その後高田純次、小形雄二、岩松了らが入団し、テレビでは、1980年から2年間放映された『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)に東京乾電池として『日刊乾電池ニュース』という時事コントのコーナーを担当するようになった。
当初は、時代が漫才ブームであり、芸人のようなストレートな笑いではなかったため、不振で打ち切りの話があった。しかし打ち切りのタイミングがなく、その間に「不条理の中の渋みのある笑い」が認知され、次第に人気コーナーとなったことで、東京乾電池はコントの類を行うお笑い劇団のイメージが定着していった。
そういったイメージの定着を嫌った柄本らは、演劇方針での転換を試みる。1986年から1990年にかけて、岩松了の作品を「町内劇シリーズ」「お父さんシリーズ」として計6本上演。岩松はこの5作目にあたる『蒲団と達磨』で第33回岸田国士戯曲賞を受賞。一方で、この頃に岩松は東京乾電池を退団している。
1991年から1995年の4年間は、チェーホフの4大劇を柄本の演出により上演。
1996年には川島雄三監督の大映映画の傑作『しとやかな獣』を舞台で上演して話題を呼んだ。
創立25周年の2001年、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を柄本の演出、劇団員総出演により上演。これは同じく柄本演出で今日まで再演され続けている。
2005年4月には小津安二郎監督の『長屋紳士録』を舞台化、上演した。
創立30周年にあたる2006年、「劇団東京乾電池祭り」と題し、開催期間の4月19日から4月30日の間に『小さな家と五人の紳士』(作:別役実)、『眠レ、巴里』(作:竹内銃一郎)、『授業』(作:ウジェーヌ・イヨネスコ)、『夏の夜の夢』(作:ウィリアム・シェイクスピア)『長屋紳士録』(作:小津安二郎、池田忠雄)の5本の演目のうち4本を、柄本の演出、劇団員総出演で毎日上演するという企画公演を開催した。
35周年にあたる2011年には、『寿歌』(作:北村想)、『そして誰もいなくなった』(作:別役実)、『ハムレット』(作:ウィリアム・シェイクスピア)の3作品を上演。『寿歌』は下北沢に完成した「アトリエ乾電池」のこけら落とし公演でもあった。
海外活動としては、フランスのアヴィニョン演劇祭への参加の他、ロシア、モルドバ、ルーマニア、韓国などでも公演を行っている。
漫画家の蛭子能収も、東京乾電池でセット設営のアルバイトをしていた処、柄本に「舞台に出てみないか」と云われ、劇団員となった。
下北沢アクターズ・ラボ
『下北沢アクターズ・ラボ』は、2007年より劇団東京乾電池が株式会社ノックアウトと共同で開催している、ワークショップ形式の俳優講座である。
2010年、アクターズ・ラボ2期生を中心に劇団東京蝉ヌードが結成された。
主な俳優
かつて所属していた俳優
脚注
出典
外部リンク