冨田 憲子(とみた のりこ、1977年5月3日 - )はフジテレビの記者、元ニッポン放送、フジテレビのアナウンサー。現姓非公表。
来歴
神奈川県横須賀市出身。憲法記念日に生まれたことから「憲子」と名付けられた。1993年3月、横須賀市立久里浜中学校、1996年3月、神奈川県立横須賀高等学校、2001年3月、横浜国立大学教育学部小学校理科課程卒業。
ある時、父親の知人の息子さんがCSのアナウンサーとして活躍しているその姿を見て楽しそうだったので、アナウンサーを志し、日本テレビアナウンスカレッジに通学していた[1]。
2001年4月、ニッポン放送に入社。高校の先輩は同局の元アナウンサーである高嶋ひでたけ、大学の後輩は同じく同局アナウンサーとして、2004年に入社した飯田浩司である。同年5月16日放送分の『ニッポン全国ヨッ!お疲れさん』にて初鳴き。同年10月から『山田邦子 ワンダフルモーニング』の「クイズ各駅停車」のリポーターとしてデビュー。また、番組の企画として、2001年7月に小型船舶操縦士 4級を取得している。
2002年1月、アナウンス部の先輩であった小口絵理子が担当していた『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』を体調不良により降板した事で、高校の先輩である高嶋と番組共演を果たし、番組終了以後、開始した夕方のワイド番組でも、高嶋と共演した。また『中探』担当時にニッポン放送の経営権問題が発生し、当時:ライブドアの社長であった堀江貴文に対して、ブログのエントリーにて「(経営に関与しようとする経営陣が)ラジオに対する愛情を持っていない事がとても残念」であると批判を展開していた[2][3]。
その後、ニッポン放送の組織体制変更に伴い、2006年4月にフジテレビに転籍。転籍以後も転籍前の番組に出演し続け、プライベートでは、2007年10月10日に学生時代から10年来交際していた一般男性と入籍し、同年12月3日ハワイで挙式を上げていたが[4]、転籍以後、周囲の人間に余り公言していなかったので、古巣であるニッポン放送とのダブルネーム番組である、『メダマ!?ラジオ』2008年1月10日放送分にて正式に発表した。
2009年4月、妊娠5か月であることを発表。同年7月4日より、産休。同年8月25日に、午前4時06分、2,720gの男児を出産。2010年4月19日に産休から復帰。その後、2児の母になる。
2012年7月人事にて、報道局に異動[5]。2015年7月人事にて、報道局企画取材部総務省担当記者[6]に異動。
出演番組
ニッポン放送時代
ラジオ
インターネット動画配信
フジテレビ時代
テレビ
ラジオ
脚注
- ^ “ハイテンションと生活感の両立した不思議なアナウンサー 冨田憲子さん (高48期)”. 朋友会(神奈川県立横須賀高等学校同窓会) (2002年6月14日). 2018年3月3日閲覧。
- ^ “ニッポン放送の看板女性アナが不快感”. 日刊スポーツ. 朝日新聞. (2005年3月23日). オリジナルの2005年3月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050323063642/https://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200503230018.html 2018年11月1日閲覧。
- ^ ライブドアのニッポン放送買収への意見『さすがに書きます。』
- ^ “こんなところに♪”. みのりの日記(ニッポン放送) (2007年5月10日). 2018年1月1日閲覧。
- ^ “スタスケ 冨田憲子 (とみたのりこ)”. ザテレビジョン (2012年7月14日). 2018年1月3日閲覧。
- ^ ホウドウキョク「ニュースのキモ!Afternoon」2015年7月17日配信分の『記者メシ』より。
外部リンク