円山・四条派(まるやま・しじょうは)は、江戸中期から京都で有名になった円山応挙を祖とする円山派と、呉春を祖とする四条派を合わせた呼び名である。四条・円山派ともいう。
狩野派や土佐派が形式主義に陥り、琳派も伸び悩んでいた時代に、円山応挙は写生を重視し、優雅な画風の円山派を確立した[1]。円山派の祖である円山応挙の写生的画風に、四条派の祖である呉春が影響を受けているため、後世になってまとめて「円山・四条派」と呼ばれるようになった。だが、実態としては、呉春は与謝蕪村の文人画(南画)を基礎としているため、円山派と四条派は別の流派であるともされる。
主な円山四条派系図
脚注
関連項目
書籍
- 辻惟雄『十八世紀京都画壇─蕭白、若冲、応挙たちの世界』 講談社選書メチエ、2019年2月
- 「第5章 応挙と円山派―巨匠の「写生」と「異常」」