八幡神社(はちまんじんじゃ)は、茨城県古河市本町(八幡町)にある古河公方ゆかりの神社。旧社格は村社である[1]。
祭神
誉田別(ほんだわけ)命を主神とし、他には伊弉冊(いざなみ)命、火産霊(ほむすび)命が合祀されている。[1]
歴史
社伝によれば、室町時代の文安3年(1446年)、初代古河公方・足利成氏が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、のちの古河城三の丸の地に創建し、神田15石を寄進した。ただし、この年代は成氏が古河に移座した享徳4年(1455年)と整合しない。[1] [2]
『古河志』には、この社伝とともに、江戸町(現在の市内中央町)にあった小山観音寺の記録が引用されている。この記録では、大永元年(1521年)、第二代古河公方・足利政氏が城内に勧請したとされている。[3]
江戸時代の寛永19年(1642年)、古河城主の土井利勝により、城の鬼門除けとして古河城下の現在地に移転された。[1]
大正3年(1914年)、本殿の大規模な修理を行った。[1]
境内
本殿は南向き流造銅板葺で1.5坪。境内社としては星の宮神社があり、祭神は天御中主(あめのみなかぬし)命、素戔鳴(すさのお)命 、金山彦(かなやまひこ)命、保食(うけもち)命である[1]。
このうち、金山彦は市内の鍛冶屋に信仰されていた。かつて、古河には関東一の金物商と呼ばれた「八百藤」があり[4]、関東各地はもとより東北地方、北海道にまで農具を出荷していたため、多くの鍛冶屋が集まっていた。[5]
文化財
- 八幡神社の大銀杏:寛永19年(1642年)、八幡神社が現在地に移転したときに植えられたと伝えられる銀杏(イチョウ)である。かつては、樹高30.736 m、目通り周囲6.4 mの巨木であったが、 平成12年(2000年)に上部が切断され、現在の樹高は14.20 mとなった。古河市指定文化財(天然記念物)[6]。
- 足利高基書状:第3代古河公方・足利高基が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[7]
- 足利政氏書状:第2代古河公方・足利政氏が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[8]
- 足利義氏書状:第5代古河公方・ 足利義氏が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[9]
交通
脚注
- ^ a b c d e f 古河市史民俗編、720-722頁(神社一覧・八幡町の八幡神社)
- ^ 古河市史通史編、192頁(八幡町八幡神社)
- ^ 古河市史資料別巻、264頁(古河志・古河八幡町・八幡宮)
- ^ 昭和37年(1962年閉業)
- ^ 古河市史民俗編、425-428頁(農具鍛冶)
- ^ 古河市公式サイト・古河の文化財紹介
- ^ 『古河市の文化財』 30頁
- ^ 『古河市の文化財』 31頁
- ^ 『古河市の文化財』 32頁
参考文献
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、1973年
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年
- 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、1993年